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ハーバードビジネススクールの日本スタッフとして働く中で、気づいたこと、感じたこと、考えたことを、ゆるゆるとつづります。

HBSミーツ東北 第一日目:「外の力を自分の力にできる」女川町(2)

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内容のぎっしり詰まった2時間の説明の後は、そのままいすを片付けて、会議室の床にぎゅうぎゅうと車座になって、特別に仕入れてくださった海鮮てんぷら弁当を食べる。あまりのおいしさに、学生は「今までで一番おいしい」と口々に言っていた。ただ、この「今までで一番おいしい」というせりふは、東北滞在中、受け入れ先すべてが心づくしの昼食を用意してくださっていたため、この後も何度も繰り返されることとなったのだが...


海鮮てんぷらの余韻を味わいながら、女川の町をめぐるツアーへでかけた。復興のスピードが速いだけあり、保存が決まった3つの倒れた建物以外は、きれいに土地が整備され、盛り土の作業がどんどん進んでいる。晴れ渡った青い空、冷たい冬の空気。じゃりを踏みしめながら、ここに以前あった家や商店街を思い、街が新たに立ち上がっていく場を肌で感じる。

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ほぼ何もない海辺の土地に圧倒的な存在感で立っているのが大型冷蔵施設マスカだ。水産加工業の復活のためにはまず冷蔵庫が必要、ということでカタールからの20億円の寄付で作られた。漁業組合が共同で管理している。しかしハードはできても、漁業と加工業の両方が復興しなければ、冷蔵庫はうまらない。HBSの学生は、マイナス30度体験に、まるで遊園地のように大はしゃぎつつも、まだがらんとした冷蔵庫の中に復興の現実をみつめていた。

きぼうのかね商店街に戻り、説明を受けたアトム通貨を使っての買い物の時間。お茶屋さんが経営するカフェでコーヒーを飲んでゆっくりする学生、うみねこの羽を頭につけかまぼこの膝あてをしている女川のローカルヒーロー「イーガ―」に興奮する学生、駄菓子を買い食いしている学生...消費という点においていったいどの程度地域経済に貢献したかはかなり不明だったものの、思い思いに楽しんでいたようです。

日が暮れ始めるころ、その日最後の訪問先へ。がれきと砂利しかない灰色の土地に突如見えてくる、カラフルでおしゃれなトレイラー宿泊施設El Faro。2012年12月27日にオープンし、すでに予約がかなり入っているという、パステルカラーであたたかな宿泊施設を、先ほど説明してくださった小松さんと、女将佐々木里子さんの案内で見せていただく。急激な冷え込みにぶるぶる震えながらも、El Faroがハブとなって新しい女川のまちがつくられていく未来を願いながら、集合写真を撮る。
 
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(写真は塩澤氏より)

「女川は外の力を自分の力にしてさらに前に進むことができる、そんな土地です」という塩澤さんの言葉から始まった女川での一日。小松さんは、「他の被災地では壁を感じていた中、女川は飛び込みで来た自分に『明日会議があるけど来れる?』と言ってくれた」からだと述べ、カタリバの松本さんも、コラボスクールの提案を持って被災地をいろいろ回った中で、やりましょうと即決してくれたのが女川だった、と言っていた。地元の人々と、外からやってきて復興に取り組む人々が、お互いの強みを生かしあいながら前に進んでいる土地なのだ。

一方、女川では原発というものの違う側面も学んだ。石巻市の市町村合併の際、原発マネーがあって財政が潤沢だった女川は合併を拒否した。その結果、自分たちのまちとしてのまとまりを維持したことになり、それが復興後の強さにもつながっている。また、町の高台の建物に避難した2000名は1週間近く食べ物も水もないような状態だったのに対し、海抜15メートルの場所に位置した女川原発に避難した人364名は、すぐに救援物質を受け取るなど、もっとも安定した避難所生活を送っていたという。


女川の滞在時間はわずか5時間あまり。でも、そのたった5時間で、女川の過去、現在を知り、未来を垣間見た。地元の人、そして外からやってきた人の女川復興への覚悟と思いに浸かった。政治家、事業者、NPO、行政、あらゆる立場の見解を学んだ。ハードの復興の早さに比べて、ソフトを作り出しまわすことの難しさと大切さを知った。学びのあまりの大きさと朝5時のモーニングコールという過酷なスケジュールが合わさってか、仙台への帰りのバスは、いつもは元気な学生たちも言葉少なめ。

HBSミーツ東北第一日目、Onagawa Business Trip、無事終了。女川町のみなさま、本当にどうもありがとうございました!

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(Harvard Business Schoolにかけて特別に作ってくださったロゴ)
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