HBSミーツ東北 第一日目:「外の力を自分の力にできる」女川町(1)
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1月11日朝6時30分にホテルを出発、7時16分東京発の東北新幹線で仙台へ。そして仙台からはバスで女川町へ向かう。東京滞在中、日中は復興に取り組む企業の調査、夜はカラオケ・日本式の宴会というハードな日程をこなしてきた学生たちは、さすがに血の気のないしんどそうな顔でバスに揺られている。11時ごろ、女川町にできた世界最大の仮設商店街「きぼうのかね商店街」へ到着。
(希望の鐘商店街 写真は塩澤氏より)
バスの音を聞きつけて、この日のすべてのアレンジをしてくださった、「つながっぺ支えあい隊」の塩澤耕平さんが笑顔で走ってきて迎えてくれた。つながっぺ支えあい隊は地域通貨を通じて女川の産業復興や社会活動の促進を目指すグループで、石巻に在宅医療のクリニックを震災後に開設した祐ホームクリニックの院長武藤真祐さんが隊長である。塩澤さんはもともとNTTデータに勤めていたが、震災後、石巻で活躍する武藤さんと働きたいと思って会社を辞めた。そして、石巻に移住し、つながっぺ支えいあい隊の現場隊員として、隣町の女川における産業復興のために、日々いきいきと駆けずり回っている。
「今日は一日で女川のすべてを学んでいただきます!All Onagawaです!」という塩澤さんに連れられて、一同は、商店街の中にある女川町商工会の仮設の会議所へ。学生たちは、初めて被災地に実際にやってきて気持ちがしゃんとしたのか、女川町の方々の歓迎の気持ちが伝わったのか、だいぶ血の気が戻った顔になっている。町議会議員、地元の事業者、外からやってきて女川の産業復興に関わる方、町役場の方、教育NPO、つながっぺ支えいあい隊など、女川オールスターといっても過言ではない様々なセクターからの方々による説明の時間が始まった。
女川は、もともとは漁業の街で漁師が集まる街だった。しかし1970年以降漁業が縮小する中で原発の誘致を決定、その後は原発建設のための建設業者や電力関係者が集まる街となった。原発からおちるお金を使って、次々と新しい体育・観光施設を建設し、スポーツの大会などを開いて集客をはかり、経済を回すというモデルが出来上がる。
こうしたハードがすべて流された、というのが今回の震災であった。女川は、死亡率1割、建物倒壊率は8割を超えるなど、被災地の中でも被害状況がもっとも深刻だった。しかし、震災前の人口が1万人(現在は推計6000人程度)とあまり人口が多くなかったこと、立ち上がった地元のリーダーの存在、コミュニティのもともとの強さなどが合わさって、おそらく被災地のどこよりも速く復興計画が進んでいる。
低地には10-15メートルの盛り土をして商業施設を、住居は高台に、という街づくりのビジョンを決め、着々と工事を進めているが、ハードとしての街できるのははやくて8年後。それまでの間、何もしないで助成金頼みで待っているのではなく、女川ブランドというソフトを立ち上げよう、と、女川の美しい海、山、海産物などの観光資源を洗い出し、再パッケージして売り出す、という動きが始まっている。
こうした女川ブランドの構築には、地元の事業者と外からやってきて女川の復興に尽力する「よそ者」の両者が関わっている。リクルートに勤めていたが、地元である宮城県の惨状にいてもたってもいられなくなり、会社を辞めて3ヶ月間ひたすら被災地を回り、最終的には女川と「出会って」留まった小松洋介さん。工事関係者以外が宿泊できる宿がない、でも盛り土が終わるまでは恒久的な建物の建築ができない、という状況を打開するため、トレーラーハウスで宿泊施設をつくることを発案、東京のデザイナーや建築家を巻き込み、宿を流された4人の旅館事業者とともにトレーラーハウス宿泊村El Faroを立ち上げた。「どうやって生計をたてているの?」というHBSの学生の質問に、小松さんはこう答えた。
「自分のミッションはまちの再生を通じて日本を変えること。女川での経験は、他の地域でも必ず生きる。この数年は自分への投資だと思っています。だから給料のことは全く気にしていません。」
そのりりしさ、覚悟に、思わずほーっとうなる学生たち。部屋がざわついた。
産業復興に続いて、教育の話。「震災の経験を悲しみから強さに変える」をミッションとして、女川の小中学生に対する放課後学校のプログラムを提供するコラボスクール女川向学館(運営NPOカタリバ)事務局長の松本真理子さんが説明をしてくれた。「仮設住宅が狭いのでおばあちゃんがテレビを見ると自分の勉強ができない。自分が勉強するとおばあちゃんは遠慮してテレビを見ないのはかわいそう」といって道路の上で勉強していた子供をみてコラボスクールを始めたという話に、教育に興味がありHBSの前はアフリカで活動をしていたあるHBSの学生はこう言っていた。
「今まで映像やデータなどで震災を理解していた気になっていたけど、どことなく遠い出来事だった。子供の話を聞いて、人々にとっての震災って何なのか、心に近いところで理解できた気がする。」
そして最後は、今回のホスト役を務めてくれた「つながっぺ支えいあい隊」が導入を推進する地域通貨アトムの話だ。女川町商工会が1円=1馬力としてアトム通貨を発行、人々がボランティアなど女川のためになる「支えあい活動」に参加すると、その活動の対価としてアトム通貨が発行される。そのアトム通貨はきぼうのかね商店街をはじめとする加盟店で使用でき、消費が促進される、かつ社会的な活動も広がる、という仕組みだ。未来を先取りするかのような非常に先進的な取り組みが、ここ女川で生まれ着実に根付いていることに、HBSの学生も驚いている様子だった。<2へ続く>
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