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ソニーエリクソンの挑戦(24)~エリクソンの視点、クルト・ヘルストローム前CEOに聞く

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1999年、ソニーと同じように、スウェーデンのエリクソンは、携帯端末事業の不振にあえいでいました。1999年7月に、クルト・ヘルストローム(Kurt Hellstrom)氏が、エリクソンの社長兼CEOに就任してからは、携帯端末事業の建て直しに奔走し、ジョイント・ベンチャー設立のパートナー探しに入ります。現在、ソニーエリクソンの関係者に質問をすると、両社の交渉が始まったのは「2000年9月から」という答えが返ってきます。しかし、ヘルストローム前CEOによると、それよりも早い時期に、両社のトップはコンタクトをとっていたようです。ヘルストローム氏は、エリクソンにおいて、ずっと通信システム部門の責任者でした。ですから、下記のインタビューは、エリクソンにおけるシステムの専門家からの視点ということになります。

ヘルストローム氏は、2003年にエリクソンを離れ、現在は、ご自身がロンドンに設立した会社の運営に関わっています。インタビューは、2005年8月11日の朝、ロンドンのホテルで行われました。この日の夜には、ロンドンで『ウォークマン携帯電話』の発売を記念して、ジャミロクワイのシークレット・コンサートが開かれるなど、私にとっても印象の深い日となりました(質疑応答の順序は一部入れ替えてあります)。



クルト・ヘルストローム前エリクソン社長兼CEOに聞く  (2005年8月11日、ロンドンの某ホテルにて)


--まず、ソニーエリクソン設立までの経緯について、お伺いします。

当時(1999年から2000年にかけて)、私たちは、パートナーを探していました。提携について何社とも、話し合いをしていました。私たちは、ソニーがもっともフィットする相手の一つであることに気づいていました。さらに、ミスター出井(伸之ソニー会長兼CEO・当時)、ミスター安藤(国威ソニー社長兼COO・当時)など、彼らはみな、通訳無しに、素晴らしい英語を話すことができました。最終的に、私たちは、ソニーと提携することを決めたのです。

ソニーも明らかに、エリクソンと提携したがっていました。エリクソンは、優れた電話や無線技術を持っていた。一方のソニーは、一般消費者向けエレクトロニクスのマーケティングに強みを持っていた。しかし、ソニーは、携帯電話で成功できるとは言い難かった。なぜなら、ソニーは、携帯電話の技術に関する知識をあまり持っていなかったからです。彼らは、携帯電話キャリアに供給するための携帯電話の作り方を知っていたに過ぎなかった。

私がエリクソンの社長兼CEOに就任したのが1999年7月。エリクソンの日本法人(日本エリクソン株式会社)のモーガン・ベングッソン(社長)が、ソニーと個人的な接触をはかったのが、2000年の早い時期(sometime early 2000)と記憶しています。その後、私も、ミスター出井、安藤と東京で会っています。

--あなたは、ソニー以外の会社とも、提携交渉をしましたか?

イエス。

--それは、どこですか?

当時は、誰もが提携先を探していました(Everybody was talking with everybody)。エリクソンにとっては、(隣国のライバル)ノキア以外ならば(笑)、どことでも提携する用意がありました。

--なぜ、エリクソンは、携帯電話のマーケット・シェアを落としたのですか?

エリクソンは、基本的には、通信システムの会社であったと思います。1990年代半ばに、エリクソンは、携帯端末の小型化に成功し、マーケット・シェアを拡大しました。しかし、初めから、デザインはあまりよくありませんでした。デザインを改善している間に、他社が消費者向けマーケティングの力をつけてきました。また、1998年に技術的な問題が発生しました。コンシューマー・マーケットへの理解の不足と技術的な問題により、携帯電話のシェアが落ちていったのです。

1999年に、当時、香港にいた私が呼び戻され、社長兼CEOに就任したのは、これを建て直すためでした。私たちは、コンシューマー・マーケティングに優れた提携相手を探すことを考えました。この分野で、ソニーよりも優れたブランドを探すことは難しいでしょう。ですから、ソニーと提携できたことに、とても満足しています。

--当時のソニーは、携帯電話では成功していませんでしたが。

両社が互いを必要としていました。ソニーはエリクソンの強み、つまり携帯電話技術に対する知識を必要としていました。

--あなたの見方では、ソニーはなぜ携帯電話で成功できなかったと思いますか?

私が、すべてのことを理解しているとは思いませんが、私の意見では、携帯電話事業で成功しているのは、全体のシステムとビジネスを理解している企業だけです。エリクソンは、端末から端末まで(end to end)のシステムを理解しています。携帯電話が、ネットワークの中で、どのように動作しているかを理解していることが必要です。ただ単に、携帯電話を作っているだけでは、システム全体を理解している企業に遅れをとるだけです。

--ソニーは1994年に、クァルコムとジョイント・ベンチャーを設立していますが。

そのジョイント・ベンチャーの意味は、ソニーはCDMAの端末を開発したかった点にあります。そのために、ソニーは、クァルコムの持つIP(知的財産)や特許を必要としていました。クァルコムは、多くの特許を持っていました。ただ、クァルコムは、IPや端末用チップ、端末内部のコンポーネントに関しては成功を収めたましが、彼らは、それを需用者に販売していくノウハウを理解していませんでした。ソニーが提携した当時のクァルコムは、それほど強い会社ではなかったと思います。

しかし、エリクソンとソニーが提携した時点では、エリクソンはとても強力な無線通信インフラの会社であり、ソニーは、最強の消費者向けエレクトロニクス企業でした。

--ソニーは、通信に関するIP(知的財産)を持っていないのですか?

あまり多くは持っていない。しかしエリクソンは、たくさん持っています。ソニーはパートナーが必要でした。そうでなければ、ソニーはライセンス料を支払わなければなりません。

--ソニーは、なぜライセンス料を支払うよりも、パートナーを求めたのでしょうか?

この問題は、何がベストかについての判断が分かれるところですが・・・。しかし、エリクソンと提携し、そしてソニーエリクソンという組織を設立することで、ソニーは、エリクソンの持つ、すべての特許に自由にアクセスできるようになった。これは、他社にはできないことです。

--2001年1月に、エリクソンは携帯電話の生産を、シンガポールのFlextronicsにアウトソーシングしました。

日本人にとっては、生産現場は企業の一部である、ということは理解しています。しかし、今日では、アウトソーシングは、部品を購入し組み立てる、という作業を、他社に任せることに過ぎません。

--この決定がなされたのは、ジョイント・ベンチャー設立前でしたが、ソニーはこれを知っていましたか?

これについては、たくさんの議論がありました。この点について、両社には異なる見方がありました。ソニーは、自らの工場を持ちたがっていました。このアウトソーシングを、ソニーは嫌っていました。エリクソンは、この点については、とても柔軟です。私たちは、Flextronicsと、とてもよい取引ができたと思っています。

--この決定は、ソニーとは無関係になされたのですか?

アウトソーシングの決定は、ソニーとジョイント・ベンチャーを設立する前に行われたものです。しかし、このアウトソーシングが、ジョイント・ベンチャー設立への障害にならないように努めました。現在でも、ソニーエリクソンは、たくさんのアウトソーシングを行っています。もっとも労働コストの低いところで生産できなければ、生き残ることはできません。

--ジョイント・ベンチャー設立の最終合意がなされたのは、いつですか?

2000年の終わり頃には、合意に至っていました。この頃、ジョイント・ベンチャー設立を正式にアナウンスする直前のところまでいったのですが、いくつかの論点が残っていたことから、2001年へとずれ込み、4月の発表へと至りました。その後も、立ち上げに向けて、たくさんの仕事が残っていました。

--ソニー側の交渉相手は?

ミスター安藤。ミスター出井は、報告を受けていただけのようです。両社から派遣されたチームが基本的なことについてのディスカッションを行っていました。

--両社が50%ずつ出資したのは、なぜですか?

両社ともに、携帯電話端末のビジネスにとどまっていたかったからです。ソニーの出資比率が多ければ、エリクソンは押し出され、エリクソンが多ければ、ソニーが押し出されてしまいます。両社は、独立した会社を作ろうとしたのです。親会社の支援を受けながらも、独立した経営を行う会社の設立をめざしました。

--50%ずつの出資ですと、それぞれの親会社が無関心になるケースもあると思うのですが。

携帯電話は、とても重要なマーケットなので、そういう心配はありませんでした。

--ジョイント・ベンチャー設立の発表がなされてから、スウェーデンのメディアは、どういう反応を示しましたか?

懐疑的なものが多かった。50%ずつの出資という点についてや、ソニーは携帯電話事業において、あまり貢献できないのではないか、という意見もありました。しかし、今では、とても高い評価を受けています。高機能の高価格機種に焦点を絞った戦略は、間違っていないと思います。そして、今やウォークマン・ブランドの携帯電話も発売します。将来に向けての可能性は、たくさんあると思います。他のライバルは、こうした強力なブランドを持っていません。

エリクソンがソニーと提携した後で、他社も、同じようにアジアの企業との提携を模索していたことを、私は知っています。なぜなら、アジアは将来、大きなマーケットに発展する可能性を持っていたからです。しかし、これはとても難しいことでした。

ソニーのカルチャーは、とてもインターナショナルなものです。私は、他の日本のメーカーとも、交渉をしましたが、ボード・ミーティング(相互の役員による会議)になると、日本側は日本語で、私たちは英語で、通訳を介して話し合うことになります。これは、とても時間がかかるものでした。私たちは、残念ながら日本語が話せませんが、ソニーの役員たちは、みな英語が流暢です。ですから、テーブル越しに直接対話が行えます。これが、ソニーにとっては、とても大きなアドバンテージでした。

--社名のソニーエリクソンは、どのようにして決まったのですか?

まったく新しい名前を求めたかどうかは、覚えていません。両社ともに、「ソニー」と「エリクソン」のブランドを活かしたいと考えていました。ソニーもエリクソンも、どちらの名前が初めに来るかについては、こだわりはありませんでした。しかし、「ソニー エリクソン」というのは、誰かの名前のようでいいんじゃないかと思います(笑)。

--ヘッド・クォーターが、ロンドンになったのは?

提携交渉の際には、あまり大きな問題にはなりませんでした。それはソニーエリクソン自身の判断だったと思います。もしスウェーデンにヘッド・クォーターがあったら、エリクソン色が強くなるし、日本にあればソニーの子会社のように思われてしまいます。ですから、中立的な場所が必要だったと思います。

--井原勝美氏が初代社長としてソニーから派遣されましたが。

彼については、以前から知っていたわけではありませんが、交渉の過程ですでに重要な役割を果たしていました。私が、彼と直接話をしたのは、交渉の最後だったと思います。ソニーが彼をCEOに推薦したので、我々はそれを受け入れました。彼は、とても強力な人物で、ソニーが、そうした人材をCEOに送り込んできたことは、それほどソニーエリクソンを大事に思っていることの表れだと理解しています。

--エリクソン側からの人材は?

まず私が会長をつとめました。また、セールスとマーケティングを統括する副社長には、ヤン・ワラビーを指名しました。彼は、私が、エリクソンのCEOになった時に、端末事業の責任者に指名しました。彼は、とても精力的な人物です。

--日本人とスウェーデン人は、うまく交流できましたか?

トップ・マネジメントのレベルでは、とてもまとまっていたと思います。しかし、一般の社員のレベルでは、クロス・カルチャー(異文化交流)のためのトレーニングを行いました。私は詳しくは知りませんが、日本の文化とスウェーデンの文化、それぞれを理解するための時間を設けたようです。

--2003年春の製品からは、ソニーらしいデザインになったと思います。

それこそが、私たちが当初から意図していたことです。そこに至るまでに2年間という、とても長い時間がかかりました。アナリストや、その他の部外者は、こうしたことは、四半期か半年で行うべきだと言いました。しかし、製品にはサイクルがあり、切り替えるには、少なくとも2年はかかります。

--デザインに関する両社の取り組み方の違いは?

ソニーとエリクソンの最大の違いは、ソニーは消費者オリエンテッドの企業であり、トップが、さまざまな製品を実際に見ます。しかしエリクソンは、システムの会社で、製品のコンポーネントを見るくらいしかしません。2つの異なる文化は、とても異なる文化です。

--ソニーのコンテンツにも魅力を感じていましたか?

私たちは、コンテンツの利用についても、議論しました。携帯電話業界においては、コンテンツを持っている企業は、ほかにはありません。ソニーの持つコンテンツは、ソニーエリクソンに、いろいろな可能性を与えてくれています。もちろん、ソニーもソニーエリクソンにコンテンツを提供することで、利益を上げられます。

--シェアの拡大はできますか?

個人的には、ソニーエリクソンが、20ドルとか15ドルといった低価格の機種を販売するのはリスキーだと思います。私だったら、そんなことはしないと思います。

--会社設立時には、シェアでノキアを追い越すと言っていましたが。

もちろん、ああいう時は、ちょっと強気でいくものだと思います(笑)。しかし、ソニーエリクソンの売り上げの伸びは、ノキアを上回っています。ノキアはあらゆるセグメントをフォローしなければなりません。しかし、ソニーエリクソンは、付加価値の高い機種を売って、利益をあげています。

--エリクソンは、2002年に、ソニーエリクソンから資本を引き上げる、と言われていましたが。

イエス。しかし、携帯電話事業において重要なことは、前にも言ったようにエンド・トゥ・エンドのソリューションが必要であり、1つの端末から別の端末まで、すべてを機能させなければなりません。ソニーエリクソンは、エリクソンの開発する新しい通信システムを試すことができます。もしソニーが、ソニーエリクソンを完全に子会社にしたら、システム事業を行える企業と密接な関係を維持しなければ、危険です。ノキアは、システムと端末、両方を理解しています。

そして、もしエリクソンがソニーエリクソンを支配したとしても、消費者向けのマーケティングがうまくいかなくなるでしょう。また、ソニーのコンテンツも利用できなくなってしまいます。

エリクソンは、1999年に危機に直面しました。携帯端末のトラブルが引き金でしたが、それにITバブルの崩壊も加わりました。エリクソンは、困難な時期に直面しましたが、いまでも携帯電話インフラに関しては、最強の会社だと思います。しかし、もし私たちが、ソニーのようなパートナー見つけ、ソニーエリクソンを作っていなかったとしたら、エリクソンは、今頃は、端末事業から撤退していたと思います。

私は、すでにエリクソンから離れて2年立っています。ですから、ソニーエリクソンについては、結果しか知ることができませんが、良い業績をあげていると思います。また、商品のラインナップも目にすることがあります。それらは、とても調和がとれていて、独自のアイデンティティを作りあげています。それはソニーでもなく、エリクソンでもなく、ソニーエリクソン独自のものです(It's not a SONY, it's not an Ericsson, but it's a Sony Ericsson)。

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