ソニーエリクソンの挑戦(19)~2004年、みたびアメリカへ
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ソニーとしては、1999年に北米のCDMA事業から撤退。ソニーエリクソンとしても、2003年に、北米のCDMA事業から撤退と、2度北米からの撤退を経験しています。しかし、2003年に北米でのCDMA端末販売を停止してからも、北米市場向けのGSM端末は、開発・製造を続けています。そして、2004年に行われた記者発表では、欧州向けの新製品よりも、北米向けの新製品の方が、多いことすらありました。型番だけ記述しておくと、2004年3月9日は『T237』、『Z500』、『T637』。2004年7月15日は『S710a』、『P9120a』などです。
そして、左の表は、ソニーエリクソンの決算を示したものですが、2003年に北米のCDMA事業から撤退したにもかかわらず、2004年12月期のアメリカでの売り上げは、2003年12月期を上回っています。1994年にクァルコムとの合弁を設立した時から考えると、ソニーエリクソンの経営が軌道に乗るまでに、実に10年もかかっています。しかし、この間の投資は、決して無駄ではなかったと言えます。それどころか、携帯電話や無線事業が、今後のソ二ーの戦略にとって、重要な役割を担うものであることは言うまでもありません。
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