ソニーエリクソンの挑戦(7)~北米事業からの撤退
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ソニーエリクソンにとって、2003年は転機の年でしたが、それは端末のヒットだけによって、もたらされたものではありませんでした。
2003年6月24日に、米国のCDMAビジネスからの撤退とドイツのミュンヘンにあるGSM向け開発拠点の閉鎖を行いました。この2つのリストラ費用は7000万ユーロにのぼり、このうち5800万ユーロを2003年第2四半期(4-6月期)に計上しました。このリストラによる経費削減効果は、2004年から1億2000万ユーロに上り、この効果は2003年下半期(7-12月)から現れています。
携帯電話の世界は、ヨーロッパが主導するGSMと、アメリカのCDMAがあり、ソニーエリクソンは、いわゆる「選択と集中」により、アメリカにおけるCDMA事業から撤退しました(日本におけるCDMA事業は継続しています)。
この時点の判断がどうだったかと言えば、GSMとCDMAの競争では、GSMの方が優位に立っていたこと、また、アメリカでもGSMの携帯電話が使えるようになってきたこともあり、企業の規模などから判断すると、正しい決断だったと言えます。
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