堀井雄二に転機とPRとクリエイター目線を学ぶ
ドラゴンクエストのプロデューサー『堀井雄二』のインタビュー記事がおもしろい。
Entertainment Meister - Vol.2 堀井 雄二 インタビュー | 文化庁メディア芸術プラザ
文化庁のインタビュー記事だが、『堀井雄二』の人生、人間性、成功に深く切り込んでいる。
――まず、ゲームデザイナーになった経緯を教えてください。
僕は学生時代からフリーのライターとして、セブンティーンや少年ジャンプといった雑誌に記事を書いていました。それで27歳のときに、お正月の新聞 の記事でマイコン特集っていうのを見かけたんですね。
<中略>
キーボードすら打ったことがなかった んですが、仕事に使えるかもしれないと思って購入したんです。
27歳と言えば、僕と同い年。
僕のぐらいの年齢に初めてマイコン(パソコン)に触れてから、
ドラゴンクエストを作ったというのが今となってみてはすごい話だ。
それでもゲームデザイナーになるのはまだまだ後のお話。
プログラムコンテストの入賞者だった中村光一さんが、「ポートピアならファミコンでできますよ」と 言ってくれて、いっしょにファミコン版の『ポートピア連続殺人事件』をつくりました。このときの制作期間は半年ぐらいですね。『ポートピア〜』をきっかけ に、だんだんとゲームデザイナーの道を歩み始めたわけです。ただ、まだ当時はライターの仕事もしていたので、『ドラクエIII』あたりまでは、「ゲームは 道楽です」なんて言っていました。
ゲームデザイナーとして創作活動をしながら、ライターの仕事もする。
クリエイティブの方向性は同じようで全く違うような仕事を二つもこなしながら、
どこか楽しそうに語る堀井さんが印象的だ。
そしてこのライターという仕事が、ドラゴンクエストが大ヒットする助走を作っている。
ドラクエ』の第1作目は、ものすごい早さで制作しました。鳥山明さんや、プロデューサを入れてスタッフは5人で、期間はだいたい5ヵ月くらいでした。ファ ミコンのカセットの容量も64キロバイトしかなくて、いわば今の携帯電話の待受画像1枚分の容量の中に、絵とプログラムを入れないといけないわけで、シナ リオもそんなに量がなかったんですね。あいかわらず僕は『少年ジャンプ』のライターも続けていたので、「ロールプレイングっていうおもしろいゲームが出る よ!」という記事を書きつつ、自分でゲームをつくっていました。「ロールプレイングってこんなゲームだ」と読者に説明しておくことで、実際にゲームが発売 される頃にはみんな「RPGとは何か」ということがわかっているという展開にしたんですよ。
今でこそ一般的なRPGだが、その当時は新ジャンルだ。
その新ジャンルをジャンプというスペースを使って消費者(子供達)に伝えていったからこそ、日本のRPGが消費者に受け入れられた。
ライターの立場を使って当時の子供達のバイブルで発言する事は、
ドラゴンクエストブームの一翼を担っているに違いない。
そんな堀井さんがゲーム作りついても語っている。
我々はコンピュータを相手にしてゲームをつくっているけれど、実際に相手にしているのは人間なんですよ。だからコンピュータを見るのではなく、モニターの 向こうにいる人間を見てほしいですね。そういう意味で、どういうものを皆がおもしろがるのかを考えてつくらないといけない。技術ばかりに走ってしまうと、 とてもよくできているけど、遊んでみるとつまんないってことになっちゃう。
技術者ではないので、完全に理解する事は難しいけれど、
技術者は『技術に真摯に向き合う』癖があると思う。
必要なのは、技術ではなくて「解決すべきニーズ」なのである。
ゲームの場合は、「今の技術を超えた技術を使った表現!」ではなくて、
『今までのゲームよりも○○が楽しい!』のニーズを満たさなければならない。
堀井さんの人生の転機、ドラゴンクエストのPR方法、
モニターの向こうの人間を見る姿勢など、
一つのインタビューの中に、いくつもの人生のヒントが隠されている。
良作のインタビュー記事なので是非ともご一読されたし。