歳を取るほど若い頃にサボったつけが回ってくるもの
歳を取ってくると、若い頃にごまかしていたことが、そうもいかないことが増えてくる気がしています。私が最近痛感したのが「字の汚さ」です。
秋の川越祭りで、私が所属する町内も山車を曳いたのですが、山車を出す年には会所が開設され、町内の人はのし袋にお祝いを入れて持っていきます。お返しにお赤飯がいただけるのですが、のし袋には自分の名前や住所を書かねばなりません。今まではあまり気にしていなかったり、習字を習っていた娘に書いてもらったりしていたのですが、今年は娘は出かけてしまい、自分で書きました。しかし・・・我ながら下手な字だったのです。のし袋なので筆ペンが良いだろうと考えたのですが、普段から筆や筆ペンで書く練習をしていないこともあり、実に下手くそ!それを会所に提出する際に我ながら恥ずかしい感じだったのでした。
字に関しては、結婚式など、いろいろな式に参加する際にもその場で書かねばなりません。若い頃は「個性的な字の方が模倣されなくて良いのだ」とか、「頭がいい人は頭の回転に字を書くスピードがついていかないから、字は汚いものだ」とか、適当な言い訳をして逃げてきたのですが、さすがに50歳も近くなるとそうもいかなくなってきた気もします。
もともと、英語というかアルファベットはそれなりに綺麗な字を書けます。高校時代に英語のテストが終わる度に呆れるほどの量のレポートを提出して2をもらっていたおかげで、英語は書き慣れているのです。カリグラフィーも若い頃から得意でした。
カリグラフィーを練習した頃を思い出すと、写真に写っている手本を真似して練習したわけです。ということは、日本語も手本を真似して練習すれば良いのだと気づき(当たり前ですが・・・)、まずは自分の名前を練習するために、インターネット上の毛筆書体を調べてみました。どうせなら楷書ではなく行書や草書ですらすら書きたいと思い調べると、中国のサイトで漢字の書体や起源まで調べられるサイトもありますし、そもそもフリーの毛筆フォントもありました。これなら練習したい文字の手本が簡単に得られます!
冷静に考えると、小中学校で習字の授業がありましたが、大きく書くテーマの文字のサンプルはあっても、自分の名前のサンプルはなかったのです。基本もなく、さらに手本もなければ綺麗な字になるはずがありません。
ということで、自分の名前の行書・草書の手本を真似て、手持ちの筆ペンで練習することにしました。習字の上手い娘からも「絵が上手な人は真似て書くのが上手だからすぐに上手くなるよ」と励まされながら・・・。
練習していると、どうも筆ペンの筆の腰がないのが気になり、いつものごとく、「良いものを買えばさらに練習に精が出るだろう」と、高い筆ペンを購入!まあ、確かに書きやすいのですが、娘に書かせるとどちらで書いても上手にかけるのが悔しいところ・・・。
娘もiPhoneでさっと習字のサンプルを探して筆ペンで書いてみたりしたのですが、適当に書いても上手そうに見える字になるのは書き慣れているからなのでしょうねぇ・・・
コピー用紙の裏紙で練習していましたが、どうせならと和紙のノートを買ってきたところ、インクのしみこみ具合の違いに唖然としたりしながら、毎晩ちまちま練習しています。
娘にいわせると、漢字はともかく、ひらがながひどいと言うことなので、住所氏名に慣れたらひらがなですね。。
字に限らず、子供の頃から人並みにやっておけば良かったということは、歳を取るほど痛感するものですね。勉強・運動・音楽・読書・作法など、全部を完璧にする必要はありませんが、嗜む程度にはやっておくと、大人になってから苦労せずにすみます。そんな話を子供達にしているのですが、わかるはずもなく・・・まあ、自分も親からいろいろやれといわれてちっともやりませんでしたからねぇ。。