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プログラミングでメシが食えるか!?

企業の余力・将来性を表しているのは、目先の利益以外の活動だと思う

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今日は「ICT分野の標準化の調査」の会合に参加してきました。5つのテーマの発表があり、私は委員として参加したのですが、大学・企業から公募に応募し、調査を経て成果報告もしっかりまとまっていました。

公募なので、一応予算もあり、費用は支給されますが、企業であれば参加することが業績に直結するかどうかは微妙で、動き損になる可能性もあるわけです。もちろん、長い目で考えれば、海外の会合に参加する機会を得られるなど、様々なメリットがありますが、今回の公募の対象は中小企業です。はたして中小企業でどれだけこのような公募に応募するものだろうと考えると同時に、自分たちはどうだろうと考えさせられました。

当社も数年前にWideプロジェクトに参加していた時期があり、目先の利益より中長期的な視点での活動もしていました。途中からあまりにも仕事が忙しくなりすぎたことと、Wideプロジェクトはアカデミック色が強いのであまり合わないということなどから、だんだん疎遠になってしまったのですが、結局のところ「自分たちに余力がなかった」ということが結論でしょう。余力とは「人・物・金」に関してです。

数年前から事業の方向性を受託形から提案型に切り替え、今では「物・金」に余力は多少ある状態とも言えますが、相変わらず「人」は足りない状態で、メンバーはいつでも大忙しで、とてもプラスアルファの活動などできない状態と言えるでしょう。なので、なおさら私自身は余計なこと(良い意味で)をするようにしているわけですが・・・。

目先の利益に直結する仕事は、企業にとって資金繰りの面からも大事なことは当たり前です。ですが、目先の利益は大抵本当に目先だけの場合が多いものです。それは急ぎの仕事であったり、あるいは請け負い的な仕事が多いからということもありますが、本意としては「自分たちで稼ぐべくして稼いでいないから」だと考えています。要するに、「こういう事業でこう稼ごう」という姿勢ではなく「目の前に仕事が出てきたから片づけよう」だからです。そういう物はワンショットの場合が多く、一時的にお金を生んだとしても、長期的に生み続けるかどうかは怪しいからです。

そういう意味で、私自身は、企業にどれだけの底力があるかは、「どれだけ余計なことに投資できているか」がひとつの指標になっているのではないかと考えています。「余計」イコール「無駄」とは限りません。良いイメージの言葉に置き換えれば「どれだけ種まきができているか」です。まいた種が全て芽が出て立派に育つとは限りませんが、少なくともまかない種は芽が出ません。

目先の仕事を忙しくこなすことは、大変なことかもしれませんが、ある意味誰にでもできる仕事です。やることが決まっている仕事は、やればいつかは終わるのです。しかし、これから何をすべきかを考えて、当たるかどうかわからないことに注力することは簡単ではありません。個人的にも企業としてもです。それができる状態かどうかが、おそらく、「自分たちに余力があるかどうか」であり、「この先数年後に伸びているかどうか」を物語っているものなのだと思います。

今回の公募に応募し、参加してきた方々は、おそらく余力があり、数年後に活躍されていることでしょう。そんな方々と知り合えて、刺激をいただけただけでも、私としては委員として参加した甲斐が会ったというものですし、いつかは当社メンバー達がそのような取り組みに積極的に関与できるような状態を楽しみにしていると同時に、そういうことができるような舵取りを私がしっかりしていかなければと考えさせられたのでした。

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