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プログラミングでメシが食えるか!?

任せきる!

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メンバーに仕事を頼んだのに、

・進まない
・忘れられる
・報告がない
・理解してない

など、様々な理由で捗らず、結局、

・自分でやるしかなくなる
・お客さんから直接自分宛に相談が来るようになってしまう

という感じになってしまうことがよくあるようです。

私自身は意外とそういう経験は少ないと感じていて、その理由を考えてみました。

・私が依頼するメンバー達が優秀?
・そもそも、あまり頼まない?
・頼んでもあまり期待していないから、がっかりしない?

どれも当たっているような外れているような・・・

どうやら、私から頼まれたメンバー達の意見によると、

「小俣さんは任せたら最後、絶対に助けない!」

ということらしいです。ハハハ・・・確かに!

まあ、おかげで、メンバー達はとても優秀に育ってくれていますし、私も自分の仕事ができるし、なんの問題もないわけです。でも、それができないリーダーが多いのだそうです。

私は、任せた仕事がきちんと進むかどうかは、基本的には、「任されたメンバーの気持ちの入り方で決まる」と感じています。技術の有無などもありますが、そもそも無理なことは任せませんから、できるはずと思って任せたのに上手くいかないという場合の話しです。できるはずなのに上手く行かないのは、気持ちが入っていないからです。その甘えの根本にあるのが、「どうせ、いざとなったらリーダーがなんとかしてくれるだろう」という甘えです。私が助けないのは、その甘えを断つためです!

というのは後付けで、実は、本当に私はやることがたくさんあって、どうしようもないから任せているのです。そういう意味で、任せるときには私が忙しくてひどい状況の時ほどうまくいくものなのです。

今思い出しても、「あの時はひどかったなぁ」と思えるのが、2004年の夏でした。苫小牧の仕事と、東京での仕事のどちらも大爆発状態で、私は6月から10月まで一日も休めず、東京と苫小牧を往復し続けたのでした。日中は苫小牧の工場で作業し、夜はホテルから東京のサーバを監視して、と言われたり、「日帰りで良いから東京に来て」と言われて、最終便で羽田に戻り、ある現場で徹夜作業して、また北海道に戻ったり・・・。あの時はメンバーにもかなりの無茶振りをしました。苫小牧のプロジェクトに全く関与していないメンバーを、次々と苫小牧の現場に送り込んだりもしました。もちろん、依頼すると「無理ですよ!」と言われるのですが「他に選択肢はないから、頼む!」と。私の忙しさはメンバーも皆見ていましたので、「まあ、仕方ない・・・」と対応してくれましたし、現地でも「てんてこ舞いの小俣さんに相談するより、お客さんに確認しよう」と、自ら動いてくれたものです。さらに、お客さんからも「小俣さん、寝ている時間あるの?」と心配されるくらいでしたので、多少お客さんの思い通りでない状況になっても「まあ、無理は言えないし」とお客さんもなんとかしてくれたものです。

結局、お客さんも自分たちも、火を噴いて怒鳴りたいわけではなく、なんとか仕事を仕上げたいわけですから、お互い「なんとかしよう」と考えれば最後はきちんと終わるものなのです。

そんな感じで、私は基本的に常にやること満載状態なので、任せたら助けません。うまく任せるポイントの一つは、「任せる側はもっと忙しい」ということかもしれませんね。

もっとも、「助けない」といっても、助け船はたまに出します。決してメンバーの代わりにやってあげたりはしません。私がすることは、お客さんに「メンバーのいたらない部分は申し訳ない」と詫びることと「でも、メンバーはお客さんの力になりたいと心から頑張っている」「忙しすぎる私がどうこうするよりも、メンバーの方がはるかに解決できる」と、お客さんにメンバーを売り込むことです。そして、それをメンバーにも伝えます。「お客さんも君のことが頼りだと言ってくれているよ」と。お客さんもメンバーも、「役に立たない小俣抜きで、なんとかしよう!」と強く思ってくれれば、大抵上手くいくものです。

よく、任せたのに上手くいかずに、怒鳴りつけたりしている場面を見ますが、私は怒鳴りもしません。怒鳴って、口出しして、結局助けてしまったら、メンバーは「怒鳴られるのを我慢すれば、なんとかしてもらえる」と考えてしまうようになるかもしれません。そもそも、私は怒鳴る以前に「任せたんだから、なんとかして」という感じです。

いつでもそうなのですが、私は、自分がされて嫌なことは他人にもしたくないのです。「任せる」と言われたのに口出しされたり怒鳴られたりするのは私が嫌なので、任せたときにもしません。そもそも、怒鳴ったり怒ったりして、あとで「正解だった」と思ったことなど、今まで一度もありませんから、無駄なことはしたくないだけです。

そんな感じで、まず怒鳴ったり怒ったりしないので「仏の小俣」と見られることもありますが、実は絶対に助けない「鬼の小俣」なのかもしれません。でも、それが「うまく任せる方法」であり、「任せることができる人に育てる方法」なのかもしれません。

とはいえ、自分でも良くわかっていない部分もあるので、部分的に真似をして失敗してもなんの責任も取れませんので・・・

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