娘に怒鳴って・・・あやまった。。
自分への反省と、時々、振り返るために・・・。
高校生になった娘と妻がしょっちゅう言い合いをしていて、、中でも一番もめているのが、髪の毛の話し。縮毛矯正とかなんだかんだと・・・。
今日も、部活で縮毛矯正は禁止になったがやるとかやらないとか言い合いになっていて、私も巻き込まれ、「学校で駄目といっているのに許可できない」「学校ではなく部活だ」「じゃあ、部活をやめてからやれ」「こういう髪の毛に生まれてなければ・・・」と。。私としては、あまりにばかばかしい話しで、「そんなこと、親に相談するな!」と。
それでもまだ長々とやり合っていて、他の部屋で聞こえてきていたら・・・「パパとママの意見が合わないのに二人に怒鳴られた。どちらかが間違えているならあやまって」という感じの声が聞こえ、私はぶち切れて廊下を蹴飛ばしながら「ふざけるな!なんで親が子供にあやまる必要がある?」「だいたい、五体満足に生まれて育っていながら、たかが髪の毛のことで、こういうふうに生まれてなければ、だと?何様だと思っているんだ!」と怒鳴り散らしてしまいました。そして、「そんなにやりたいならこれでやってこい!」と万札を投げつけました。
しかし・・・風呂に入りながら冷静に考えると、、自分も高校時代に親に対して同じような暴言を吐いていたことに気がつきました。。「なんでこんなデブに育てたのだ?」「もっと身長が高くなるように生んでくれれば」と・・・。全く同じじゃないか!!
風呂を出てから、娘にあやまりに行きました。「二つあやまる。まず、大きな声で怒鳴り散らしたこと。それから、髪の毛と五体満足の話し。パパも高校時代、同じようにデブと身長のことで親に暴言をいっていた。この点はパパも叱る資格がない。もうしわけない。」「それと、髪の毛の悩みはパパには理解できないから、相談に乗れない。そこはママと相談して欲しい。他の相談ならいくらでも乗るから。」と。娘は泣きながら「ごめんなさい・・・」と言ってくれました。
親の気持ちは親にならないと分からないものです。高熱で死ぬんじゃないかと心配しながら看病したり、骨折したときにも「あの時こうしていれば・・・」と自己嫌悪になったり・・・そんな思いで育ててきたのに「こんなふうに生まれたくなかった」とか言われると「ふざけるな!」と怒鳴ってしまうのですが、その気持ちは子供にはわかるはずもないものですよね。
それと、大人になってから振り返れば、「身長が低いとか、どうしようもないことで親を責めたりして、なんて親不孝な!」と思えますが、当時は「身長さえ高ければ人生が違っていたかもしれないのに」と、本気で考えていたりしたもので、それを頭ごなしに叱ったところで「私の気持ちも知らないくせに!」となってしまうものでしょう。
親だって神様じゃないですし、子供の頃には同じように未熟だったわけで、それを棚に上げて偉そうなことだけを言っていてもダメなんだと思っています。むしろ、そんな未熟だった頃のことを話しながら悟らせたり・・・職場ではそういうやり方をしているのに、家庭ではついつい感情的になってしまうものなのです。それに、親だって間違えることはあります。今回は自分で気がついてあやまれましたが、きっと娘からすると「この間と言っていることが違う!」とか、たくさんあるのでしょうね。まあ、私も親に対してそう思っていましたから。親も子供も、お互いそんな失敗に気付きながら、人間的に成長していければ理想的ですね・・・。