高校受験は単なる通過点
今日は埼玉県立高校の受験日。我が家の娘も受験してきました。結果発表はまだ先ですが、まあ、一応受験生としてやるべきことは終えたというところでしょう。
自分自身の高校受験を思い出してみると、、、もう30年前でしょうか。埼玉県立浦和高校を受験しました。受験日は確か雨だったと思いますねぇ。問題を解き終えて窓の外を見ていたときに雨だった気がします。私は丙午生まれなので、受験は楽と言われていましたが、浦高は確か1.7倍くらいの競争率だった気がします。テスト自体は毎月やっていた北進テストと同じようなレベルで簡単だったので、不思議と落ちるという考えはなく、合格発表も、一緒の中学から受験した友人と、さらに既に国立に合格していた友人と、三人で見に行きました。今考えれば、それでどちらかが落ちたりしていたら・・・と思うのですが、無事に二人とも合格でした。
実際に浦高に通い始めてみると、予想とは全く違う面が多く、進学校なのでひたすら勉強ばかりなのかと想像していたのですが、むしろ授業中は皆が寝ていました。ところが、体育の授業をはじめとしたスポーツ関連はすばらしい充実ぶりで、授業では、柔道・剣道はもちろん、1年生はひたすら夏の臨海学校まで遠泳の特訓。冬にはラグビー。マラソン大会は春に11キロ、秋は48キロ。年に6回くらい球技大会があるなど、浦和体育学校と呼ばれるほどでした。特に「雨天決行」は校内で有名な言葉で、土砂降りの中のマラソン大会は当たり前、雨や雪が降るとあえてグラウンドでラグビーやサッカーをやるという状態でした。生徒も熱血派が多く、授業のサッカーで、サボっているとチームの仲間から「ちゃんとやれよ!」と怒鳴られたものです。。そんな中で体と精神を鍛えられ、一浪して有名大学に進学する肉体を作る、という感じなのですが、私は勉強をすっかり嫌いになったので、浪人せずに五流大学に進んで落ちぶれた人生を歩んでいるのでした・・・?
まあ、人生というのは、自分の思うようにはいかないもので、まさか進学校に入学後に勉強を嫌いになるとは思っていませんでしたが、その代わりに、授業で落ちこぼれたり、職員室に呼ばれたりして精神的に鍛えられ、さらに肉体も鍛えられ、なによりも失敗を怖がるような性格が見事に変えてもらえたという面で、浦高に行った価値が私としてはあったのだと、今振り返れば思えるのですが、当時は父と絶交に近い状態で、荒れていたものでした。。
高校受験で思い通りにいった人、いかなかった人など様々だと思いますが、どちらに転ぶ方が人生にとって良いかは、神のみぞ知ることだと思います。私のように目標の高校に合格しながら、グレて親ともひどい状態になり・・・でも、その後の人生を考えれば、あの挫折(?)があったおかげで、精神的に強くなったと思いますし、どういう進路を進めば良かったかなどは、人生が終わるときにならないと判断できないことだと思います。
思うようにいかなくても、それが天から与えられた試練だと受け入れ、「それならこうしてやろう」と考えて前に進むしかないのが人生です。全ての経験は単なる通過点であり、その時には大事でも、後で振り返れば、大したことないということばかりです。大事なことは「次にどうするか」ですね!
我が家の娘もどうなるかは、親も全くわかりませんが、親にできることは、見守ってやることと、背中を見せてやることくらいでしょう。子供らのためにも、まだまだ私自身も先を見て行動していかねばなりません。