IT事業部に喝!
内輪っぽい内容ですが・・・
当社は5月分の給与(6月支払い分)から毎年昇給をします。先日リーダーによる面談などを経て、昇給の査定を行いました。残念ながら、昨年度(とくに上期)、業績が悪かったため、景気の良い昇給はできず、若手中心の地味な昇給となってしまいました。
昇給というのは、昔からの終身雇用的な考え方では、若いうちは低く、年を取るごとに上がっていくという制度でしたが、今はそんなに甘い制度をできているところは少なくなってきているのではないでしょうか。
当社はボーナスは完全に出来高制、給与もIT事業部以外はほぼ出来高制です。この制度ならそう簡単に会社は倒産しません。わかりやすく言えば、「稼いだ分しか社員に払わない」分けですから、技術系の会社で最も大きな費用である人件費の払いすぎによる資金繰りの悪化を避けやすいからです。しかし、社員としては辛い制度です。一番辛いのは、手取りが安定しない点でしょう。
もちろん、会社としても最初からその制度にしていたわけではなく、私が入社した頃はむしろ、業績に関係しているのは報奨金くらいで、他はあまりわからないまま支給されていました。ところが、大した業績でもないのに社員は、ボーナスが低い・給料が低いと不満を口にしていたので、当時の社長が、それなら出来高制にする、となったのです。それでも毎月の給与は固定でした。
当社では(どこでもそうだと思いますが)各事業部に最低限これだけは稼げというノルマが課せられています。最低限なので、どうがんばっても無理という設定ではなく、簡単に言えば、一般に良く言われるように、「自分の手取りの3倍稼げ」というようなレベルです。それをなかなか達成できない状態が続いた事業部が、毎月の給与も出来高制になっているのです。要するに、ノルマを果たせないなら、固定の給与も出しようがない、ということです。
当然ながら、業績の悪い事業部を放置して、できないから駄目、ということではありません。毎週のミーティングでアイディアを出し合い、何年もかけて改善を目指して指示してきましたが、それでも前向きにきちんと取り組まなかったので、完全出来高制になったわけです。
IT事業部は長いこと、かなりの利益を生み続ける事業運営をしてきましたので、ボーナスは出来高制でかえって高いボーナスを得ることができ、毎月の給与も固定で、昇給もしてきました。ところが、このところの受託開発の景気の悪さや、受託から製品を中心とした提案型への転換がやや遅れたために、少々業績が悪くなってしまっていたのでした。
私は社長であると同時に、IT事業部長も兼務しており、オーナーである会長からは当然、厳しい注意を受けています。一方でIT事業部のメンバー達は、受託から提案型への切替への抵抗感や、自分たちが立ち上げたい製品事業へのこだわりなど、様々な背景の中、かなり痛い目にもあった2年くらいだったと感じています。
私は強制的にやらせるのは嫌いです。私自身が嫌いだからなのですが、それよりも、自分で動いてみて、困難にぶち当たり、そこでもがいて初めて本当にどうすべきかに気がつくから、という考えです。この2年はメンバーの思いをあまり曲げずにやらせてきました。どうすべきかは、かなり身をもってわかったと思います。もちろん、その間は私を含め、待遇面などで痛い目にもあいましたが、これは必要な課程だったと信じています。
この過程を振り返りながら、先週末にIT事業部全員宛に「IT事業部への喝!」というメールを送りました。かなりの項目数なので、全部はかけませんが、タイトルだけを並べると、
・アピール強化
・メンバーが今、何に取り組んでいるのかを共有する
・社外との連携強化
・IT事業部以外の製品もどんどん売る
・できることはすぐやる!
・もっと貪欲に!!
・自分から動かなければ良くならない
という感じです。前半はかなり具体的な内容、後半ほど意識面への内容になっています。
IT事業部は技術者集団なので、IT関連でお客さんが困っていることを解決したり、あるいはこうすればもっと便利という提案をできる力を一人一人が持っています。メンバーによって、技術的に尖っていたり、あるいはコミュニケーション力が優れていたりと様々ですが、やればできるのです。しかし、日々の仕事の追われて肝心なことを先延ばしにしがちです。そこに渇を入れるのが目的です。
早速、今日のミーティングからかなり雰囲気も変わり、リーダーを中心に明るく楽しく前向きな話し合いとなり、皆が状況を共有して、お互いに持っているものを出し合おう、という感じになってきました。
最初からそうすればいいのに、と思うかも知れませんが、人間、痛い目にあわないとなかなか人の言うことに耳をかそうとしないものです。痛い目にあってしょげてしまっても駄目ですが、その経験を活かして、前向きに取り組めば本気の動きができるものです。私自身も入社から30歳になるまではひどい思いの連続でした。しかし、それがあるから今の自分があることは間違いありません。これからのメンバーの行動が楽しみです!