CADビル10周年&社会人20年を振り返って
私の会社は小さいながらも自社ビルで、もうすぐ今のビルを買って10年になります。ビルを建てた、と言わないのは、中古で買ったからなのですが、月日の流れの早さにただ驚くばかりです。冷静に考えると、私自身はちょうど社会人20年目くらいで、半分は今のビルで仕事をしていたというのは不思議な感じです。
私が入社した頃の会社は、大久保の、明治通り沿いのビルの1フロアで仕事をしていました。夜になると冷暖房が止まってしまい、蒸し暑い中で仕事をしたり、寒くて電気ストーブを使うとブレーカーが落ちたりしていました。入社前に3年間同じ会社でアルバイトもしていたのですが、当時は月曜から金曜まで自宅に帰らずに、会社で寝泊まりしている人たちもかなりいました。21時頃になると銭湯に出かけていました。私は意地でも泊まらないと、ほとんど毎日終電で帰宅していましたが。
私の所属はCAD事業部という、プリント基板パターン設計事業を行っている部隊でした。プリント基板設計用CADシステムの開発をしていたからなのですが、CADのオペレーターとプログラマーの仕事はあまりにも違い、待遇面などで不満を感じ、入社3年目に自分で事業部を作りました。CAD開発販売を目的とした事業部ですが、私と1年後輩の二人の合計3名の事業部でした。販売のノウハウもありませんでしたし、CADシステムというなかなか規模の大きなシステムを若いメンバーだけで開発していたので、いろいろな面で暴走状態で、3年間ほどほとんど成果は出ませんでした。毎週の責任者会議では他の幹部から集中攻撃を受け、会社の中で孤立していました。しかし、他の事業も儲かっていると言うよりは何とかトントンでしかないじゃないか、と感じていましたので、「いつか自分たちの業績に跪かせてやる」という信念で、四面楚歌状態にも関わらず必死に仕事をしていました。
途中、すぐ隣のビルに引っ越しましたが、その部屋割りもひどいもので、業績の悪い私の部署は狭い場所に押し込められたものです。
その後、そろそろCADにこだわらずに何とか稼げ、ということになり、皆で出向に出たり、小さな会社の開発の仕事を請けたりしました。出向先では技術面ではあまりのレベルの低さとお客さんの良いなり状態に呆れたり、小さな会社の仕事では取引自体でさまざまな問題を経験しました。
たまたま東海ソフトさんがUNIXの開発ができる会社を探していると言うことで仕事をいただき、大手のソフト開発のやり方を教わりながらも、圧倒的な開発力で非常に喜んでいただき、同時にCADの特注品開発も請けることができ、いきなり大幅黒字となりました。その少し前からボーナスは出来高制になっていたので、今までのお詫びとして他の部に半分以上を渡しても、はじめて親や知人に自慢ができるボーナスをもらえました。その後はほとんどノルマ割れになることはなく、好成績を続け、会社全体でもゴルフ練習場事業の成功もあり、今のビルを買ったのが10年前と言うことになります。
今のビルに引っ越す際には、業績好調の私の部隊は1フロアを丸ごともらい、かなりゆとりを持った仕事環境となったのですが、今ではそれもすっかり手狭になってしまっています。
前半の10年と後半の10年を比べると、明らかに仕事の質が変わりました。前半は何もわからずに試行錯誤ばかりでした。しかし、その経験があったおかげで後半の10年は良いお客さんと良好な関係を続けてこられましたし、良いメンバーも育ちました。私自身が必ず考えていたことは、「今の状態に満足しては駄目だ。新しいことにチャレンジをし続けなければ。」と言うことでした。メンバーはどうしても目の前の仕事に集中して仕上げることを優先しがちなものです。それはそれで大切な仕事ですが、全員そうなってしまうと業界や経済の変化に取り残されてしまいます。とにかく目の前に来たチャンスは全て手を出したと言えるくらい、その気になったものはやってみました。著書を書きはじめたのもこの頃ですし、新しいお客さんとのコネクションを増やしたり、他が嫌う通信関連の開発に深く首を突っ込んでみたり、横の連携を求めてさまざまなコミュニティに参加したり、製品開発販売のチャレンジも少しずつやってきました。同じくらい大切にしたのが「すぐにやること」です。やってみないと良いか悪いかもわかりません。考えているだけでは何もしていないのとほとんど同じなのです。
今のビルで10年、就職して20年という機会で振り返ってみると、まあ、ずいぶん非効率な歩み方をしてきたな、と思っています。でもそれが私の個性を作ってくれたと感じていますし、周りに流されてきたのではなく、自分なりに道を切り開いてきたという実感もあります。次は頼もしいメンバーたちにどれだけいろいろな経験の場をプレゼントできるかもポイントだと考えています。彼らが10年後、20年後に振り返ったときに、「我ながらよく頑張ったな」と思えるような仕事を展開して行ければ、会社も事業も結果としてしっかり発展していることでしょう。
人間、苦しい思いや悔しい思いも大切です。恵まれすぎた環境では、バイタリティが育ちませんし、燃え上がるような情熱も感じにくいものです。一方、苦しすぎても潰れてしまいます。いつでも、多少苦しい、難しいと感じるくらいのハードルがある状態が理想的です。
私の最初の10年のエネルギー源は間違いなく「いつかは跪かせてやる」という思いでした。その後の10年は「まともな体制と良好なお客さんとの関係作り」でしょう。次の10年は「メンバーの力をきちんとアピールし、良い意味で有名になること」です。「まだまだ、もっともっと」です。