学ぶための忘れ方
学び方についての議論は多いが、はるかに重要な問題は、いかにして学んだことを棄て去るか、なのである。
「脳の容量は有限なので、新しい知識を入れるためには古い知識を棄てなければならない」という話ではありません。ものの見方・考え方を変えるのがいかに難しいかという話。その難しさが端的にまとめられていて、ハッとしました。
それは、まさに、捨て去らねばならない実践や感性、レンズ等が、ほとんど我々の無意識の中にあるということだ。所有しているとは承知していないものをどうやって捨て去ることができるのだろうか。解釈の枠組みは我々が自らの精神的なレンズでもって構成したものなのである。
― 同上
新しいメガネを掛ける前には、「自分は既にメガネを掛けてものを見ていた!」という事実を発見するステップが必要です。
この発見ばかりは、読書では難しい。読書はすべからく自分のレンズを通して読まざるを得ませんからね。
企業研修では、同じものを観察し、自分と他人とで見え方を報告し合うようなやり方を設計します。しかし同じ企業の人間はメガネの種類が似ているので、これも限界を感じます。
ビジネススクールには、業種も年齢も様々な人が集いますので、その分気づきは大きいですね。しかし皆ビジネスパーソンに共通のメガネを掛けているわけです。
ビジネスパーソンは、遊びや家庭や地域社会にもっとエネルギーを配分することで、子供やお年寄りなど、さらに様々な方々から自分のメガネの特殊さに気づかせてもらえる。それは『学んだことを棄て去る』スピードを高める。つまりは、学ぶ効率を高めることにつながる。
「自分の掛けているメガネに気づく」という体験は、いくら長時間働いても、いくら長時間頭をひねっても得ることができない。他人に気づかせてもらうか、よい物語に触れる(ここにストーリーテリングの出番があると考えています)しかない。このあたりに、われわれのワークスタイルを考える重要なポイントがある気がします。
仕事の価値を高めるためには、仕事への関わりをもっと減らす必要がある。そういうことですよ、きっと。