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エンタープライズコラボレーションの今と今後を鋭く分析

自分の意見が通らないからと辞任するのは単なる自己満足じゃないのか

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 ITにはまったく関係のない話なのだが、このGW中にずっと頭の隅にこびりついて離れないテーマで気になって仕方がないので連休最後に、ここにちょっと書いてみる。

 公的な役職に任じられ会議などで出した意見が反対多数などで通らないときに、抗議の意味で役職を辞すというのが時々見られる。以前からこういう場面を見るたびに「信念を通してすばらしい」という賞賛の声と「無責任だ」という非難の声の両方があがるのを見てきた。個人的には、これが企業戦略の議論や組織のあり方の議論であれば、意見が合わないから袂を分かつというのもありかもなぁとは思っていた。が、ことが多くの人の生命の安全に関わることでさらには前例も無くこれからいろいろ調べて議論していかないとわからない分野であった時に「納得がいきませんので辞めます」というのはあまりにも勝手すぎるのではないか。

 確かに自分が信じていることが通らないのは辛いだろう。しかし本当にそう信じておりなおかつ会議でその意見を他に言う人がいないのであれば、そこで踏みとどまって他の皆を説得する努力をするのが正しい姿ではないだろうか。公的な会議では出席できる資格が限られているのだから辞めてしまってはその意見を誰もその場に出せなくなるではないか。世の中には権利と権限を持っている者こそが行動すべき場面があるはずなのにそれを自ら投げ出すというのはどうみても無責任に見える。

 そりゃ辞めればご当人本人は気持ちがすっきりするだろう。が、それだけだ。辞めた後でその会議が相変わらず自分の信念と違う方向に行くのは許せるというのだろうか?じゃあ、それが許せる程度の信念なんてどの程度のものかと思う。
 よしんば辞めた後に信念を訴え続けるために別の場に積極的に立って自分の意見を出し続けるならまだわかるがそれもなさそうだ。日々いろいろなニュースを見ながら自分の子供の健康を守るためにそれなりにいろいろ考えているひとりの父親としては、どうしても理解ができなくてやり場のない憤りを感じてしまう。

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