「紙さながらのインターフェース」ってそれは単なる手抜きですから
情報共有や情報流通を促進させる重要な要素のひとつにユーザインターフェースがある。見やすいインターフェース、探しやすいインターフェースはどういうものかというのは最近の私の重大な関心事のひとつである。
そんななかあるブログで「Apple, google and everyone else - Who owns the customer experience?」というエントリーを見つけた。
グーグルとアップルのシンプルなユーザインターフェースを讃えて、こういうのが生まれるのはユーザの視点でシステムの利便性にエネルギーを注いでいる素晴らしい経営者がいるからだというこの主張には頷けるものが多いし、このエントリーで例に挙がっているダメなインターフェースのようなデザインをしてしまいがちな私にはいい教訓になった。最近は座右の銘的にこの絵をときどき見るようにしている。
日本企業のシステムにおいてはしばしば「素人にもわかりやすいインターフェース」と称して従来の紙の書類そのままのデザインの入力画面に出くわす。彼らの言い分はシステム化するときにユーザが混乱しないようには、従来と全く同じデザインの画面のほうが良いというものだ。これまでは「ふーん、そんなものか」と思って聞いていたが最近、これは単なる言い訳ではないかと思い始めた。
というのも、とあるシステムでこの紙のままの酷いインターフェースに出会って面食らったからだ。そのシステムでは多行式の伝票入力画面を紙の時のデザインのまま画面にしてあるのだが、これが何とも使いづらい。
従来の紙上で多数の入力項目を多行式に並べた伝票のデザインでは、紙の横幅の都合上どうしてもいくつかの項目を改行して配置することになる。そしてその余った余白部分に割と場所を取らない選択式の項目を配置したりする。そう項目の配置はあくまで紙という空間の制約に左右されるのであって、記入時に頭の中で思い描く順番とは異なるのだ。
このシステムは、システム化にあたり何も考慮せずにこの多行式の表をそのまま画面に配置していた。結果、入力の際にTabなどでジャンプする順番は項目の配置順で直感的な入力順で無いため、いったりきたりして入力が大変なのだ。最近のシステムの画面は広いのだから制約は紙ほどでは無い。ユーザの利用シーンにあわせて作業時に頭に思い描く順番に項目を再配置したらどんなに使いやすくなっただろうに、といつも使いながら苛立ちを感じて仕方がない。
そう、ようはシステム開発担当者が、ユーザインターフェースを考える手間や労力を惜しんで手抜きをしただけである。開発時の一人月か二人月の手間を惜しんで、結果として1000人のユーザが使いづらいシステムに四苦八苦しながら業務時間のうちの数分間を無駄に費やす。
いったいどっちが無駄なんだか。