掛け算順序問題:「式」だけでは「考え方」は推定できません
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先日来、「掛け算に順序はあるか」をテーマにシリーズで書いてますが、原点に立ち返って(笑)、私が最初にこの話題を目にした事例をあらためて見てみると
→ 6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性
このケースでの出題は、
というものでした。
これに
と書いたら、式も答えもバツをつけられた、という事例が問題の発端です。1万歩譲っても答は合っているはずですが、今回そこには目をつぶって式のほうだけ問題にします。
この式にバツをつける根拠は何か? というと、こういう話ですね。
まあ、百歩譲って「1あたり量×いくつ分」という順序で書かなければいけない、というローカルルールを使って○×の根拠にするところまでは認めるとしましょう。
(本当は、そのローカルルールは掛け算指導のごく初期に教師が気をつければいいだけのことで、テストの採点根拠にしてはいけない、と私は思います。が、ここではいったんその主張を引っ込めます)
しかし、
のです。別に特殊事例でもなんでもなく、ごく普通にどこでもありうるケースでです。
実例を挙げましょう。「トランプ配り」と言われる方法で配ることを想定した出題です。
もし出題がこういうものだったとしたら、「1あたりの量」は8でしょうか、6でしょうか。
・・・どちらでもありえますし、どちらであってもごく自然な発想であり合理的な考え方ですよね。
つまり、この出題の場合、たとえ「1あたり量×いくつ分」というルールを適用したとしても、「8×6」でも「6×8」でも、どちらの式も、式だけでは間違いとは言えないのです。
さて、ここで問題なのは、発端である「出題1」には、「どんな方法で配ったかを制約する条件は何も書かれていない」ということです。
出題1を読んで出題2のようなトランプ配りのイメージを考えた子供にとっては、「1あたり量×いくつ分」というルールを守った上で「8×6」という立式が正しいことになります。
実際、この「掛け算順序問題」を調べてみると、こういう家庭の声がよく出てきます。
現にこの可能性がある以上、それを確認しないまま、式だけで「考え方が間違い」と判断することはできません。
しかも、実際には「6×8」と書いたからといって、正しい考え方をしているとも限りません。例を挙げます。
↑上記チャートの「考え方」欄の右側2つはどちらも間違いです。この2つは 「掛け算には順序がある」・・・なんて、ご冗談でしょう?(1)」 以来問題にしている「条件反射的ショートカット解法」そのものです。ショートカット解法にはこの他にも「ずつ」がついている方が先に来る、といったものもあります。現実にはこのノリでごまかせてしまう出題が相当に多いことを、現場を知っている方はご存じでしょう。
結局のところ、「式」だけで「どんな考え方をしたか」を判断しようということ自体に無理があります。
「適切な考え方をするよう誘導したい、どんな考え方をしているかを確かめたい」という動機自体は正しいのですが、いかんせん方法が間違っている。
「1あたり量×いくつ分」というルールを、教師の側が教えるときに守ることで子供が考えやすいように配慮する、なら何の問題もありませんが、式だけで子供がどう考えたかを推定し、採点の根拠とするのは間違っています。
また、それが間違っている、ということを自覚できない教師が算数を教えている、ということ自体に私は大いに危機感を覚えます。
参考:黒木玄氏の論考「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」には「トランプ配り」の事例も豊富に取り上げられています。
→ 6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性
このケースでの出題は、
出題1 8人にペンをあげます。1人に6本ずつあげるには、ぜんぶで何本いるでしょうか。
式[ ] 答[ ]
というものでした。
これに
式[ 8×6=48 ] 答[ 48本 ]
と書いたら、式も答えもバツをつけられた、という事例が問題の発端です。1万歩譲っても答は合っているはずですが、今回そこには目をつぶって式のほうだけ問題にします。
この式にバツをつける根拠は何か? というと、こういう話ですね。
まあ、百歩譲って「1あたり量×いくつ分」という順序で書かなければいけない、というローカルルールを使って○×の根拠にするところまでは認めるとしましょう。
(本当は、そのローカルルールは掛け算指導のごく初期に教師が気をつければいいだけのことで、テストの採点根拠にしてはいけない、と私は思います。が、ここではいったんその主張を引っ込めます)
しかし、
「1あたり量×いくつ分」という順序のルールの適用を認めたとしても、
「8×6」という式だけを見て「その考え方を守っていない」と判断することはできない
のです。別に特殊事例でもなんでもなく、ごく普通にどこでもありうるケースでです。
実例を挙げましょう。「トランプ配り」と言われる方法で配ることを想定した出題です。
出題2 8人にペンをあげますが、ペンが何本あるかわかりません。何本あっても公平になるように、まず1本ずつ全員に配り、次にまた1本ずつ全員に配り、を繰り返したら、ちょうど6本ずつ配ったところでペンがなくなりました。ペンは何本ありましたか?
もし出題がこういうものだったとしたら、「1あたりの量」は8でしょうか、6でしょうか。
・・・どちらでもありえますし、どちらであってもごく自然な発想であり合理的な考え方ですよね。
つまり、この出題の場合、たとえ「1あたり量×いくつ分」というルールを適用したとしても、「8×6」でも「6×8」でも、どちらの式も、式だけでは間違いとは言えないのです。
さて、ここで問題なのは、発端である「出題1」には、「どんな方法で配ったかを制約する条件は何も書かれていない」ということです。
出題1を読んで出題2のようなトランプ配りのイメージを考えた子供にとっては、「1あたり量×いくつ分」というルールを守った上で「8×6」という立式が正しいことになります。
実際、この「掛け算順序問題」を調べてみると、こういう家庭の声がよく出てきます。
ある母親の声:そういえば、うちの3人の子供達に、キャンデーみたいな、たくさんあるオヤツを配るときは、いちいち全部の数を数えてられないのでいつもトランプ配りです。だから子供達にも、たくさんのものを「配る」といえばそんなイメージがあると思います
現にこの可能性がある以上、それを確認しないまま、式だけで「考え方が間違い」と判断することはできません。
しかも、実際には「6×8」と書いたからといって、正しい考え方をしているとも限りません。例を挙げます。
↑上記チャートの「考え方」欄の右側2つはどちらも間違いです。この2つは 「掛け算には順序がある」・・・なんて、ご冗談でしょう?(1)」 以来問題にしている「条件反射的ショートカット解法」そのものです。ショートカット解法にはこの他にも「ずつ」がついている方が先に来る、といったものもあります。現実にはこのノリでごまかせてしまう出題が相当に多いことを、現場を知っている方はご存じでしょう。
結局のところ、「式」だけで「どんな考え方をしたか」を判断しようということ自体に無理があります。
「適切な考え方をするよう誘導したい、どんな考え方をしているかを確かめたい」という動機自体は正しいのですが、いかんせん方法が間違っている。
「1あたり量×いくつ分」というルールを、教師の側が教えるときに守ることで子供が考えやすいように配慮する、なら何の問題もありませんが、式だけで子供がどう考えたかを推定し、採点の根拠とするのは間違っています。
また、それが間違っている、ということを自覚できない教師が算数を教えている、ということ自体に私は大いに危機感を覚えます。
参考:黒木玄氏の論考「かけ算の式の順序にこだわってバツを付ける教え方は止めるべきである」には「トランプ配り」の事例も豊富に取り上げられています。
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