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情報格差などがもたらす情報社会の問題について考える

アート分野におけるメディアリテラシーについて

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アート鑑賞は私のライフラークの1つです。美術館へ行って写真や絵画やメディアアートを鑑賞して、色々な刺激を受けたり、インスピレーションを得たりするのがとても好きです。

その鑑賞の場面で、実は情報格差があるのをご存知でしょうか。 特に、作品に関する情報の伝わり方に格差があると、それがエンターティメントの度合いの格差につながります。 作品に関する情報は例えば以下のようなものです。

・製作の背景(作者がどのような環境でどのような想いで作成したかなど)
・製作のねらい(作者が伝えたかったこと、作者が目指すことなど)

学芸員などが実施するガイドを聞くことで作品についてより深く知る方法があります。 また、ガイドブックを購入することでも同様にすることができます。 しかし、ガイド(音声)やガイドブックの記述言語(日本語など)が不得手の方がいると、そこに格差が生まれます。 その格差を解消しようと、エイブル・アート・ジャパンでは、色々な試みをしています。

また、エイブル・アート・ジャパンでは、「美術と手話プロジェクト」というのを立ち上げて、美術館におけるガイドに手話通訳をつけて、聴覚障がい者も作品鑑賞を楽しむことを目指す試みをしています。

私もこのプロジェクトに参加させていただいており、その関係で、第16回文化メディア芸術祭にて行われた手話ツアーに参加しました。下の写真は、息子がヌーディストの母親の死を通して、自分もヌーディストになって行くストーリーをフェルトの柔らかい素材を使ったキャラクタなどをコマ撮りで映像化した作品(アニメーション部門新人賞受賞作品「Oh Willy...」(Emma de SWAEF/Marc James ROELS作))の製作場面の写真の前でガイド(左)が説明している内容を手話通訳(右)が通訳している様子です。

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文化庁メディア芸術祭は、アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰するとともに、受賞作品の鑑賞機会を提供するメディア芸術の総合フェスティバルで、さまざまなメディアを使用したアートが展示されています。

ここでは、従来のアート(絵画・写真などの静止画)を超えたインタラクティブなアートや参加型アートなどが展示されていて、さまざまなエンターティメントのあり方を見ることができました。ここでは、映像等のメディアを使用して作品を見せており、そこに「メディアリテラシー」に格差があるとエンターティメントの度合いの格差につながります。メディアリテラシーは、Wikipediaによると以下のように定義されています。

◆メディアリテラシー
メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。(Wikipediaより)

メディアリテラシーは、従来は学術などの分野に限定して使われることが多い用語ですが、文化庁メディア芸術祭の手話ツアーに参加して、メディアリテラシーってエンターティメントの分野でも必要と感じました。

メディアアートの難しいところは、多種多様なメディア形態があったり、リアルタイムで時間とともに変化があったりして、ガイドブック等の説明文では表現できないところにあります。そのため、制作者/説明員だけでなく、鑑賞者にもメディアリテラシーが求められて来ています。また、メディアを通して場を共有するために、制作者/説明員と鑑賞者の間にはフラットな関係が求められて来ています。

メディアというのはそれだけで独り歩きする可能性が高く、メディアリテラシーの有無によって、エンターティメントの格差や利益の享受の格差が生まれたりするリスクがあります。 先日、文化庁メディア芸術祭における「聴覚障害者のメディア芸術鑑賞の可能性」検討会に参加した後、文化庁の関係者と会話した際、「メディアアートを普及するためには、このメディアリテラシーをどう高めて行くかというところに鍵があるのでは。」ということを話しました。

アートの分野でもメディアリテラシーが必要になってくるというのは、エンターティメントでも情報格差があるということになります。さまざまな場面で、メディアリテラシーを身に付ける教育が必要になってくると考えています。

※アートに関しては、全くの素人で趣味の域を出ていないので、過不足あると思いますが、色々とご教示頂けると幸いです。

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