『Norwegian Wood』
先週になりますが、
映画『ノルウェイの森』を公開初日に見に行ってきました。
大好きな小説の映画化ということで心待ちにし
初日に喜び勇んで行ったのですが、
個人的な感想としては「映画としてはイマイチ」といわざるをえない感じでした。
まあこれは変に原作に思い入れがある一個人=僕の感想ということで、
他の人が見たらまた違って楽しめるのかもしれませんので、
聞き流していただきつつ、せっかくなのでそれにまつわるお話を。
原作小説の『ノルウェイの森』というタイトルは、
小説の冒頭に出てくるビートルズの曲からタイトルを取っている物だと思いますが、
そこから来たのか小説にも映画にも
描写において『森』という印象が随所にちりばめられている作品だと僕は感じています。
直子と主人公が散策する公園、京都の奥地の病院、等の具体的な物から、
1960年代後半の混沌とした世相、
精神を病んでお休みしてる人たちの様子やその経緯の物語もまた
行く先のわからない森のような書かれ方をしているような印象を受けます。
映画の映像も森をふんだんに使った物であったので、
受け取る人の捉え方は一人一人違えど
そのような印象をもって作品に触れるというのは、
全くとんちんかんに間違ったことではないのであろうと思えます。
タイトルの引用元であるビートルズの曲ですが原題は『Norwegian Wood』といい、
邦題については当時の東芝EMIのディレクターの方がつけたそうです。
有名な話かもしれませんが詩の内容からも、英語文法的にも、
どうやら『ノルウェイの森』のことを歌った物ではなさそうだということです。
ちなみにイギリスでNorwegian Woodとは
安い木材やそれらで作られたあまり高級でない木造物のことをさすそうです。
#この辺についてはWikipediaにありますので参照を。
Wikipedia : ノルウェイの森
『Norwegian Wood』歌詞
ビートルズの『ノルウェイの森』をタイトルだけを前提情報に、
英語を母国語としない僕が聞いて受ける印象は
やはりなぜか『森』であり続けました。
中学校の頃からそういうつもりで聞き続けているからかもしれませんが、
どうしてもきり深い朝もやのなかの視界の悪い森の印象なのです。
たまたまついた邦題、それに誘発される異国人が聴いた曲の印象、
曲を聴いた異国人であろう作家が書いたベストセラー、
その小説のファンである監督が映画化した映画、
それらすべてに『森』の印象が生き続けるというのは不思議な物だなあ、
なんてことをあらためて思うのでした。