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ヤルキ、ゲンキ、ユウキ、ホンキ、○○○、あなたは5つ目に何を想像しますか?あと素敵なタイ旅行は好きですか?

コピー時計の罪と罰(2) タイブログ

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ブランド品に興味がない僕は、タイの屋台の天井にブドウの如く
ぶら下げられたブランド物のバッグや財布のコピーを見ても
1mmも触手が伸びることはない。

仮に、すごく精巧にコピーされたブランドもののバッグを
タダでもらったとしても、家の片隅に積みあがった新聞紙を詰めて
ゴミに出すぐらいしか使い道が思いつかない。
そのぐらいブランド品には昔から興味がない。

だから初めてタイに訪れたときも、どんなブランド品のコピーが
タイで売られているかなんて知識もまったく持ち合わせて
いなかったし、ブランドに興味がないのだからそのコピー品にも
縁がないはずだった。あの時計に出会うまでは。

ある日、街を歩いていた僕は1軒の屋台を通り過ぎてから、
足を5歩後ろに戻した。ふと目に入った時計がやけに
カッコよくみえて、暑くて立ち止まりたがらない足を
強引に巻き戻した。

その時計は、黒くて重厚でガラスがキラキラしていて
手にとって腕につけてみると、重さとタイの暑さの中で
ステンレスバンドのひんやりした感触に驚いた。

お恥ずかしいことにその当時の僕は、時計にまったく興味が
無く、ステンレス製のベルトの時計など身につけたことが
なかった。

使っている時計といえば定価1万円ほどのG-Shockをお飾り
程度で身に着ける程度だ。

だから鉄の塊で出来た機械式腕時計の質感に驚いた。
値段は3000B。日本円にして7800円ほどだ。

「安い」
そう思って僕は即購入した。それがコピー時計とは知らずに。

コピー時計だと知らないのだから、何の疑いもなく
そのお気に入りの時計を持って日本へと戻ってきた。

日本に戻った僕は、気に入ったその時計を出かける時や
仕事場にしていった。スーツに驚くほど似合う時計だった。

もちろん、コピー時計だということは本人も周りの人間も
気づかない。

その時は会社員だったが土日だけタイ料理屋でバイトをして
いて、その時も身につけて行った。ウェイターだから制服に
着替えて接客をする。

それから戻ってから3ヶ月ほど経った頃だろうか。
いつものようにタイ料理屋で接客をしていると、
注文をするためにお客が僕を呼び止めた。

40代前後の夫婦と思しきカップルの男性が、注文をしながら
しきりに僕の腕時計を見る。

僕は内心で「そうでしょう?かっこいいでしょう?」と
思っていた。

注文を取り終えて振り返ろうとする僕にその男性が
ニヤリと笑ってこう言った。

「キミ、すごく良い時計をしているね。
 高いのによく買えたね」

僕は心の中で一瞬「高い?」と思いながら
「とんでもございません。ありがとうございます」
と答えた。

この時計を選んだ自分のセンスのよさを自画自賛しながら
「タイで買うと安いんだよ」と心の中で呟いた。

しかし、高いと言われたことが日本ではどのくらいの値段で
売られている時計なのか気になった。

仕事を終えてから帰宅して夜のインターネット徘徊を
楽しんでいる最中に「高い時計」と言われたことを
思い出した。

日本ではどのくらいの定価で売られているものなのだろうか。
時計の裏ブタに書かれている型番をグーグルで検索してみて
青ざめた。

インターネットには、その時計の定価は300万円と書いてある。
最初は冗談だろうと思って何度も検索をしてみるが、事実は
変わらない。

よく考えたらメーカーもよく知らないから、文字盤に書いてある
メーカー名を検索をしてみるとAPと呼ばれるブランドメーカーで、
ブランド時計の中でも高級品ばかり作っているメーカーだった。

僕は、慌てて机に投げてあった時計をつかんだ。
「これが300万円!?これってコピー品の腕時計ってこと?」

この時初めて自分の腕時計がコピー品だと気がついた。

昼間のお客は恐らく腕時計が好きな人で、僕がしている時計が
ニセモノだとすぐに解ったのだろう。

なぜなら、バイトするような人間がおいそれと買える時計
ではないからだ。

高級時計はおろかステンレス製の時計もろくに知らない人間に
本物300万円という法外な金額の腕時計が存在する事実は、
とてもショックだった。そしてそのコピーが存在することも。
それ以来、その時計をするのはやめた。

知らなかったとはいえ、僕が悪いのだ。
誰かが「無知が人の過ちの源泉」と言っていた。
まったくその通りで言い訳の余地がない。

おそらくコピー時計を買う人の大半が確信犯だろう。
だけど必ずどこかでそのニセモノの化けの皮が剥がれる。

僕の場合は他人の指摘だったが、親しい人や仕事の取引先の人が
ニセモノのコピー時計をしていることを知ったら、どう思うだろうか?

指摘されなくとも内心で気付く人はいるだろう。
たとえニセモノだとバレなくても、ニセモノの時計は絶対に
正確な時間を刻むことは出来ない。

コピー時計は見た目だけ本物に似せただけで精度の’せ’の字もない。
つまり無意味なものを身に着けているということだ。

99%が本物の部品で出来ていたとしても1%のニセモノの部品を
使えば、すべてがニセモノということになる。

同じようにニセモノを身につけることで、世界に1人である人間が、
コピー族という種族に属し、そのときからあなたはオリジナルでは
なくなるということだ。

自分自身にわざわざ弱点を作ることになる。
そんなことをして何になるのだろうか。

コピー品は品格を下げる。
僕が言いたかったことはそういうことである。

腕時計は良いものを長く使ってほしい。
一生付き合うつもりで腕時計を選べば人生が楽しくなる。

決してコピー品は買わないことだ。
そう思う人が増えることを願いたい。

というわけで、今日もマイペンライで行こう。

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