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アドラーの個人心理学を経営に生かせないか

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経営は新領域の拡大を模索するとき、必ずといっていいほど秩序と自由のジレンマに悩む。現場には自由にやらせたいが、何かスジの通ったことでないものは困る。資源を集中しないと上手くいかないということを分かっているからだ。

ある程度大きな会社ともなれば、物わかりのいい経営トップがほとんどで、無茶を言うことはない。「俺の言うことを聞いていればいい」などと強権をふりかざす信長みたいな経営者は殆どいない。だからまずは現場に自由にやらせてみようとなって、しばらくすると介入が始まるのが普通だ。

しかしこの介入が厄介な問題を引き起こす。目標で合意したのに経営からプロセスチェックが細かく入ってくるのだ。言うほうも、良心に駆られているから介入した感覚を持たない。実は言われるほうも、あまり悪い気がしていないのかもしれない。しかし下手をすると現場の発想の自由を奪ったり弱くしたりする懸念をはらんでいる。

これを権限委譲ができてないからとか、評価指標の設計がまずいからだとか簡単に批判することはできる。でも権限委譲は口で言うほど簡単に実践できるものではない。経営者も同じ人間で、神のように先を見通す目は持っていない。不安に駆られればついついお節介をやきたくなるもんだ。本質の問題はそこなんだが。。。

結局経営に問題があるということなんだけど、自分は経営を敵に回して仕事をしたくない。経営は替えが効かないからだ。いろんな意味で。

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さて秩序と自由を両立させようとすれば、たいていは「より広い視野で」ものを考えることで解を探しに行くことになる。新領域の模索であれば「顧客だったらどう考えるだろう」みたいに視点を外部に持っていくのが定石になっている。敷衍すれば、自分たちの組織の外の、市場とか社会といった、より大きな共同体の都合に合わせないと、秩序と自由のジレンマは解けない、というものだ。


こんな定石は実はみんな気がついているが、組織の外にいる第三者に指摘してもらうというのも定石になっている。それで私のようなコンサルタントもそこで役割を果たすことができている。組織というのは実に不自由な側面を持っている。

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ここで問題にしたいのが、会社組織のようなタテの人間関係が、現場への介入を容易にし、視野を狭くしあっているということだ。より大きな共同体の存在を意識しようとしなければ、現場の頭脳は複雑な人間関係の問題に吸い取られていく。処世に長けた人なら多少強引と思っても上司の言葉をパワポに滑り込ませているだろう。


問題はもう一つあって、承認欲求が我々の発想を不自由にさせているということ。承認欲求とは他人の期待を満たそうという欲求で、誰しも持っている。いわゆる「内向き体質」もここから来ている。──というのも、他人がどう評価するかを気にすることは一見良いことのように思えるが、実はこれが発想を不自由にさせている根源。いってみれば他人がどう評価するかは他人の課題。他人の課題を切り離して自分の課題に集中できなければ、本当に自由な発想は得られない。

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と、以上のようなことを『嫌われる勇気』を読みながら思い巡らせた。本書はアドラーの心理学を対話の形式をとって理解させてくれている。アドラーの心理学は「個人心理学」と言われ、個人の主体性や創造性を啓発しようとしている。「嫌われる勇気」というのは、他者から嫌われることを受け容れないと自由になれないということだ。

最近の企業経営においても主体性や創造性を引き出すことは大きな課題になっており、それを難しくさせている根源の問題について、私自身はこの個人心理学から認識を深められたように思う。今後はこの個人心理学を企業経営に適用する方法を考えてみたい。

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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 (著), 古賀 史健 (著)

ダイヤモンド社刊行

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