夏目漱石に学ぶ「ビジネスにおける科学的アプローチ」 〜「Why」ではなく「How」にあり〜
カール・ピアソンは、次のように断言したそうだ。
「科学的に接近できない現象があるというのは迷妄である」
ようするに、科学的なトライができないことがないってことはありえないと言っているのである。
そもそも、このカール・ピアソンだが、統計学の大家であり、「ヒストグラム」の名付け親というと若干馴染みも出てくるかもしれない。
昨今、ファイナンスやデータマイニングなどビジネスにおいても、極めて科学的(数学的)な高度なアプローチが進んでいる。されど、広くビジネス実務を見渡して、科学的であることを考えてもよいかと思う。
文豪・夏目漱石は、留学時代にピアソンの『科学の文法』を手に入れ、文芸を科学する、つまり、文系と理系が融合されたあるべき姿を模索したそうである。『文藝評論』から、以下、抜粋してみる。
「科学はいかにしてということすなわち How ということを研究するもので、なにゆえということすなわち Why ということの質問には応じかねるというのである。」
漱石は、花が落ち実を結ぶ現象を例に挙げて、科学は、「いかなるプロセスで花が落ち、実を結ぶのかという一連の手続きの記述」にあり、「なぜ、花は落ち、実を結ぶのかは顧みない」としている。
つまり、科学は「How」の探求にあり、因果関係を解き明かすことにあるとしている。
さらに、引用を続ける。
「それでこの原因結果を探るには分解をする。一つの現象をとって「いかにして」ということを究めるには、それが複雑な現象であればあるほど「いかにして」ということを知りにくい。知ったと思うても分解を経た上でないと常に間違う。だから、人間はその場合とその時代に応じて出来るかぎりの分解を企てる。」
分解は、その場合とその時代に応じた切り口があってしかるべきであり、我々は事象を分解し続けるというのである。また、
「つぎにこの零細なる事実をたくさん集めて比較してみる。そこで総合ということが始まる。総合とは同じような事実をたくさん集めて「いかにして」という点いおいてみな一致していることを見ることである。」とし、
「で総合ができれば、これから一つの法則ができるわけである」
としている。
漱石的ピアソンの科学の解釈は、「How」の探求にあたり、イマジネーションによる「分解」の後、仮説的「法則」は事実との突き合わせによる「総合」をもって「検証」されるとして、物理法則のような厳密さについては要求しないとしている。
漱石はこうして、文系と理系の融合を提示した。
1.ざっくり感でも、事象を分解してみて
2.類似/共通する点を見いだし
3.事実と突き合わせて、「○○すると○○になるのでは?」と仮説を立ててみる
は、立派な実務上の科学的アプローチと言えると考える。