「自社製品は特別だ」に観られるエスノセントリズム 〜顧客から観れば選択肢の一つ〜
日本の産業をマクロ的に観れば、自動車産業を筆頭に電子機器及び各種部品などものづくりに強みがあると言えるのかもしれません。
「日本人は、欧米人と比較して、繊細で器用だし、・・・」
と、その背景の一旦について触れる一言も見聞きしたこともあります。しかしながら、欧米の時計や宝石などの工芸類を観ればその繊細さと共に品位も感じます。日本において、高級車と言えるようなクラスには欧州車も多くカテゴライズされていることと思います。(現地では、国産車であり大衆車であるのですが)また、今や電子機器は、コンセプト設計から始まり、機能設計や筐体設計、部品製造から組立など、多くの国の英知が結集されている時代となっています。
日本人は、果たして、真に(客観的に)、繊細で器用なのでしょうか? (この疑問については、これ以上深く言及することはしません。)
さて、ことあるたびに、自国のみならず、自分達の基準を持ってして、他の文化や思想を比較的低く評価する傾向は、エスノセントリズムとして多くみられます。自民族優位主義と言ったり自国民中心主義と言ったりもするこの思想は、格別、民族・文化に対する傾向ではないと思います。
「ウチの製品は、他社と違って○○が○○だし・・・」
会議の席でこのような意見はこれまで数度となく聞こえてきました。
「だいたい、うちのプロセスは特別で○○に○○で・・・」
同様に作業などの標準化/平準化を進めようとすると、その抵抗勢力から同様にしてこのような意見をもってその抵抗の意思を示してきます。
品質に関して何のエビデンスもないときには、「品質は輪決して悪くないのに」を枕詞にしながら、自社は他社と比較して、なにやら格式の高い?特殊なプロセス/工法/機能などを持つかの如く、突如として、物事が上手く作用しない理由は、自社のとある特別な事情に起因させようとしてはいないでしょうか?
私はこれまで、そのような考えに対して、次のように意見してきました。
「もし、自社(コンサルの場合には貴社)の製品/サービスが特別であるならば、つまり、真の意味で顧客に対して他社と違い仮に優位であるならば、コンペ(競合他社)はいないのではないでしょうか?」
しかしながら、実態として、提案する案件に対しては、往々にして競合他社とぶつかり合い、結果的に価格競争になることも少なくないでしょう。度々起こる失注もその結果としての現れかと思います。
見込みを含むお客様からみるとき、自社の製品やサービスは往々にて他社と区別がついていないものかと思います。実際に差がないものもあれば、差を十分に伝えきれていないこともあるのかもしれません。
マーケティングの世界では有名なドリルの話ではありませんが、お客様が欲しいのはドリルではなく、穴であると言えます。お客様は、お客様が抱える問題を解決し課題を克服する方策としての製品やサービスを求めている訳であり、克服する方策として帰結できるのであれば、その代替的手段については、お客様は選択肢の範囲として含めることは当然かと思います。
自社の製品やサービスが特別だと思うことは、言わば、エスノセントリズムの一つとも言えるでしょう。自社の製品やサービス、またそのプロセスは、なんら特別なものではないことのほうが多いと思います。
無論、各社なんらかの差別化を図ろうと戦略/戦術を練り込むことと思いますが、”自社は特別で違いがある”と天狗になってから物事をスタートさせるのと、”顧客からみるとウチも他社も一緒かもしれない”からスタートさせるのでは、到達したときの視点に大きな違いが出ることと思います。