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地方都市のおじさんが思う「家族と仕事とお勉強のワークライフバランス」

PDSA(PDCA)における「知の呪縛」からの解放 〜つなぎ目こそ、はっきりと!〜

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 年末、長男と出かけた帰りに車の中で実験してみた。

 私:「あのさ〜、今から、膝を叩くけど、どんな歌か当ててみて」
 長男:「いいよ」
 私 : 「タン、タン、タ、タ、タン、タン、タン」
 長男 :「お正月のうた!」
 私 : 「す、すごい!」

 スタンフォード大の学生の博士論文らしい。プレイヤーとリスナーの二人のゲームである。プレイヤーはリストに含まれる25曲を心の中で口ずさみながら(決して声には出さない)、指先で机を叩く。リスナーは、そのドラム音?を聞き、曲名を当てるというゲームとのこと。この実験の結果、120曲を奏でて正答率は2.5%だったらしい。博論の確信は、単に正答率ではなく、プレイヤーが予想していた正答率とのギャップに面白さがあり、プレイヤーはその正答率を50%と予想したそうだ。
 私と長男のケースは、まぁ2曲くらいしかやっていないし、時期も時期だったので当たったのだろう。(出来る事なら、親子の絆としたいところだが)

 情報を発信する側は、発信する情報について当然のころながら周知しており、暗に受信側の感度を高く見積もる傾向があるとのこと。このことを発信側に、「知の呪縛」があるとしている。一度、情報を知ってしまうと、情報を知らない状態を想像できなくなってしまう。

 業務プロセスにおけるPDSA(PDCA)について今さら触れるのは気が引ける。PDCAのほうが馴染みがあるかもしれないが、個人的には、後にデミング博士も修正したようにPlan/Do/Study/Act の PDSA としたい。

 リーダーが組織を率いるとき、計画立案し実行にあたりメンバーや支援者に熱い思いと共に高らかに宣言することだろう。掲げた試みは実行に移されることとなる。概ね、事態が見えてくると、良くも悪くも見直すフェーズに入るのは当然である。まさに、Study(Check)である。
 が、ここに「知の呪縛」は潜んでいないだろうか。リーダーは自らが指揮し試みた多くの実行結果を相応に評価/検証していることだろう。その結果をもって、見直し/修正を加え、次の施策へと繋げる。このとき、リーダー自身が、検証し見直しを自らの中で中心的に進めてしまうとき、まさに、「情報を知らない状態を想像できない」とされる「知の呪縛」に陥る。
 メンバーや支援者は、分かっているはずだ。コミュニケーションは十分とっているし、共通理解は取れていると、情報の受信側の感度を高めに見積もってしまう。

 情報の受信側であるメンバーや支援者から見るとどうなるだろう。計画されリーダーの指揮の下、実行されてきた様々な業務も徐々にメンバー自身もその成果の有無を感じ取ってくる。そのとき、検証し見直すプロセス、Study / Act が、まったく見えていないことはなかろうか?
 リーダーが奏でた音楽は、リーダー自身は音楽に乗ったドラムであるが、受信側のメンバーにとっては、なんら意味を持たない打音に過ぎないこともあるだろう。(最悪、雑音になっているかも)

Pdsa

 PDSAにおいて、最も意識して情報発信すべきプロセスこそ、Study / Act ではなかろうか。検証し見直すことは、これまでの計画と実行の微調整を伴う。つまり、大なり小なりの変化を組織に期待するのであれば、「知の呪縛」に至らぬよう、受信側に明確に伝達すべく努力を惜しむべきではない。
 点在する計画と実行が連続性を欠くとき、それは、受信側であるメンバーから見て離散的であり、「気まぐれ」に見えてしまうことも少なくなかろう。

 PDSA は、その連続的な循環こそに意味がある。つなぎ目である S / A であるからこそ、分かりやすく、強く情報発信すべきだろう。

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