オルタナティブ・ブログ > C'est la vie >

デジタルとアナログの間を行ったり来たり

人間の負の面を考えようとするとき

»

 少し前になるがニュースで凶悪な犯罪をいくつか目にして心が痛んだので、前に読んだ人格障害に関する本をパラパラとめくってみた。その延長で「FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記」にも手を伸ばしてみた。すると、冒頭にニーチェの著作からの引用があった。

「怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ。」
                                 --フリードリッヒ・ニーチェ
                                『ツァラトゥストラはかく語りき』

 これはFBIのプロファイラーである著者が、講義や発表の際に必ず皆に見せる言葉だそうだ。要は「ミイラ取りがミイラにならないように」ともいえるだろうか。犯罪者の心の奥底を覗く時には自分がそこに吸い込まれてしまわないように、常に理性を保つようにしなくてはならないということらしい。

 「怪物」とか「深淵」という抽象的な言葉を使っているが、「怪物」とは他人に危害を与える理解不能な存在であり、「深淵」とはその深層心理やメカニズムだろう。先の本だと凶悪犯罪を想定しているが、そこまで深刻ではないレベルのものなら身近にもあるように思う。

 人間は他人の負の側面を見ると、たいていは嫌悪して目を背けてしまう。それが無難といえば無難である。だが対峙しなくてならない人もいるし、そういう時もある。また必要性に迫られなくても負の側面に警戒し、または凶行への怒りにより、注視してしまうこともある。こうしてふと「深淵をのぞきこもうと」して相手の状況や気持ちを詳しく想像すると、怪物の心を感じ取ってしまうことにもなる。最初は観察のつもりでも理解できるようになると、いつしか共感に代わり、そして……というのが陥りがちな罠なのかもしれない。

 ネガティブな感情は(それ自体には必要性もあるようだが)コントロールが難しいので、一度共感してしまうと払拭するのは厄介だったりする。だからネガティブな感情を考えるときには客観性や理性を忘れるなということが大事なのだろう。なるほどなと思った。

Comment(2)