人事の新潮流 - テクノロジーの進化が促すHR領域の変化(前編)
HR Tech、AI、ピープルアナリティクスなど、昨今のテクノロジーの進化がHR領域にも徐々に影響を及ぼしつつあります。
※ここで言うHR領域とは、企業が掲げる様々な目標実現に必要な、A)個々の人材を直接的かつ個別に動かそうとする活動領域(以降「人材マネジメント領域」)と、B)個々の人材を仕組みに則って間接的かつ統一的に動かそうとする活動領域(以降「人事マネジメント領域」)の2つ領域を総称したものをお考え下さい。
A) 人材マネジメント領域
戦略目標実現に向けた仕事の分業、統合などの組織づくりを行った上で、それぞれの社員が自律的に成果を出せるよう、目標共有、役割付与、方向付け、動機付け、振り返り、フィードバック等を行う一連の活動
B) 人事マネジメント領域
短期・長期視点で戦略的に人を動かすための仕組み(基準・プロセス)づくりを行った上で、その仕組みに則って採用、育成、配置、任用、労務リスク管理、評価、処遇等を行う一連の活動
本コラムでは、テクノロジーの進化が本質的にHR領域にどんな影響を及ぼし、どんな変化が生じつつあるのか、こうした変化に対してこれからの人事は何をすべきかを、前編後編に分けて考察してみたいと思います。
HR領域に影響を及ぼしているテクノロジーの進化とは何か?
はじめに、現在までに生じている様々なテクノロジー進化の中で、近年のHR領域に影響を及ぼしているものが何かを考えてみたいと思います。ここ数年のHR領域でのコンサルティングを通じて知りえた様々な企業でのテクノロジー関連の事例を総合すると、大きく①モバイル・ソーシャルの爆発的普及、②ユーザビリティの飛躍的な向上、③AI技術のブレイクスルーの3つが、HR領域に様々な変化を生じさせていると感じます。これら3つには少し定義が曖昧な言葉も含まれていますので、先にそれぞれが何を意味するのかを概説します。
まず、①モバイル・ソーシャルの爆発的普及とは、企業と個人におけるモバイル・タブレット端末の普及と、ほぼ同時に進行するソーシャルメディア利用者の広がりを指しています。特に、若年層(20代~30代)は9割以上がスマートフォンでインターネットを利用しているという実態もあり、最近では個人のスマートフォンで会社のメールを閲覧可能にする等、個人所有端末を特定業務で利用させる動きも進行しつつあるようです。
これにより、かつて特定の部署や職場の中で閉ざされていたコミュニケーションや人と人との関係性が変容し、個々人が選んだ独自のコミュニティの中で新たな関係性が形成されつつあることが最も大きな変化といえそうです。こうした変化がHR領域にどのような変化をもたらしているかは、後ほど触れたいと思います。
進化の2つ目に挙げたのは、②ユーザビリティの飛躍的な向上です。ユーザビリティとは、単にソフトウェアやWebアプリケーションの使い勝手の良さという意味で使われる場合もありますが、ここでは「特定の利用状況において、特定のユーザによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の、有効さ、効率、ユーザの満足度の度合い」(出典:1998年のISO 9241-11での定義)という意味合いで使用します。
以前であれば業務上利用するソフトウェアや業務システムは、専門のITベンダーが提供したものを苦痛にまみれながらマニュアル通りに入力するものである、といった、ITの専門家以外にはややとっつきにくいものだったかと思います。しかし最近、UX(User experience)という「サービスの利用前・利用中・利用後の一連の流れにおいて、利用者に心地よい操作感や面白い・楽しい体験を経験してもらうことを目的としたソフトウェアデザインの考え方」が普及するにつれ、ようやくコンピューターに人間が使われるだけの状況から脱却し、人間がコンピューターを使いこなす時代になってきたと言えそうです。
そして3つ目に挙げたのは、③AI技術のブレイクスルーになります。AIというと、「2045年までには人間と人工知能の能力が逆転するシンギュラリティ(技術特異点)に到達する」(レイ・カーツワイル氏)など、ややSF的なイメージで過剰な期待と共に語られることも多いですが、ここで言及したいのはもう少し限定的な話で、ようやく実用的な領域でAI技術が使えるようになってきたという点です。
これまでのAI技術では、あらかじめ学習させたいくつかのパターンに基づいて様々な情報提供をおこなったり、多変量解析といった統計手法によって何らかのパターンを探し出したりするのが関の山でした。しかし、近年登場した「ディープラーニング」という膨大なデータそのものから学習を通じて特徴を取り出すといった技術のブレイクスルーによって、従来は困難だった画像認識、音声認識、自然言語処理、不定形データによる異常検知などが容易にできるようになったことがポイントです。金融やマーケティングなど、もともと定量的なデータが大量にある領域では、旧来から存在する統計手法によってビジネス上でも様々なデータ活用が行われてきましたが、HR領域は定性的・暗黙的な情報が中心ということもあり、勤怠管理や給与計算程度にしかデータ活用がなされてきませんでした。しかし、定性的なデータを扱える技術が登場し、①や②で言及したような誰もがITを駆使してデータを活用できる基盤が整いつつある今、本格的にHR領域でのデータ活用を検討可能なステージに入ったといえるでしょう。
テクノロジーの3つの進化はHR領域にどのような変化を及ぼすのか?
さて前置きが長くなりましたが、ここまでに触れた3つのテクノロジーの進化が、ここからHR領域にどのような影響を及ぼし、どんな変化を生じさせているのかを見ていきたいと思います。
まず、①モバイル・ソーシャルの爆発的普及は、冒頭にあげた2つのHR領域(人材マネジメント領域、人事マネジメント領域)にどのような影響を及ぼしているでしょうか。
既に挙げたように、若い年代ほどモバイル・ソーシャルに接している時間が膨大になりつつあり、モバイル・ソーシャルが普及する前とは、社員が接する情報や判断の軸そのものが大きく変容しつつあるということが挙げられます。例えば長時間労働やパワハラ等の問題も、モバイル・ソーシャル普及以前はマスメディアで取り上げられない限り明るみに出ることはなく、組合等の声を上げる手段がない社員は泣き寝入りするしかないようなケースも当たり前に存在していたかと思います。しかし、現在は良い情報も悪い情報もそれぞれが所属するソーシャルネットワークの中で瞬時に情報が共有され、多くの人に共感を呼ぶ内容であればコミュニティを超えて拡散し、時に企業に致命傷を与えるほどの影響力を持つまでに至っています。このことは、必然的にHR領域にも多大な影響を及ぼしつつあります。
人材マネジメント領域で考えると、上司側が圧倒的な優位に立ち、場合によっては高圧的なマネジメントによって社員を従わせるようなことはもはやできなくなりつつあると言えます。その結果、旧タイプの上司ははれものに触るようなマネジメントしかできず、本来部下にやらせるべき部分を気合と根性で乗り切るしかない状況に陥っていると推測されます。
同様に人事マネジメント領域についても、特に人材の採用と引き留めの部分で影響が出始めています。例えば採用の部分では、独自のコミュニティが増えた結果、以前のような求人媒体に人材を呼び込むことが難しくなり、より直接的なアプローチが増えているようです。また自分の働く環境や処遇を他者と容易に比較できるようになったことで、人材需要がひっ迫している状況も後押しして、少しでも不満を持つ社員を引き留めることが非常に困難になりつつあります。これがHR領域に生じている一つ目の変化です。
次に②ユーザビリティの飛躍的な向上はどうでしょうか。
この進化の延長線上で生まれたサービスの一つに、主にホワイトカラーの業務の自動化・効率化で利用され始めたRPA(Robotic Process Automation)があります。これはユーザビリティの向上によって、コンピューターにできることはすべてコンピューターに任せるといった、(専門家でなく)普通の人とコンピューターの分業を実現する画期的な手法であると言えます。
さらに、2010年頃から日本企業にも徐々に広がりつつあるタレントマネジメントシステムも、この進化を代表するサービスといえるでしょう。タレントマネジメントシステムとは、これまで人事だけが持っていた人事情報や、現場に散在していた個々人のパフォーマンスや評価に関する属人的な情報を一元的に管理し、経営・人事・現場マネージャーがこれらの情報を共有することによって、全社的な視点で戦略的に人事マネジメントを行うためのシステムです。近年様々な改良が加えられ、人事マネジメント領域に関わる人事業務の効率化だけでなく、個々人の能力・適性に応じた人材配置のリコメンデーションや、退職リスクの予測といったサービスを利用できるものも登場しています。こうした動きにより、これまで業務の大半が人事オペレーションだった人事部門が、中長期を見据えた人事企画や現場のパフォーマンス向上支援等、より戦略的な業務へシフトできる素地が整いつつあると言えます。これがHR領域、特に人事マネジメント領域に生じている二つ目の変化です。
最後に③AI技術のブレイクスルーはどうでしょうか。
これについては、ディープラーニングの技術を使って囲碁の世界でプロ棋士を破ったのが2015年というつい最近の出来事ということもあり、現状ではHR領域で明確に変化が起こっているとは言えない状況です。しかし、現在のAI技術でできることは既に明らかになっており、どのような変化が生じるかはある程度予測可能です。
例えば、これまでコンピューターでの処理が困難だった感情やモチベーションの状態、人間関係といった非常に情緒的なものを、表情や声のトーン、日々の行動や会話の履歴などから分析し傾向を把握することができるようになります。これにより、変化の一つ目で課題であった離職等の問題が起きる前に、早期に予兆をつかみ、打ち手につなげる余地が生まれることになります。また、ある程度大量にデータが存在する分野、例えば採用や、マーケティング、営業活動等については、既に意思決定に必要な情報を自動的に作り出す取り組みも始まっていますので、これをHR領域の文脈で考えれば、AIを使いこなし、AIが出力した傾向、予兆を適切に判断するための仕組みや人材をいかに早く作り出すかが、今後の企業の競争力を左右する大きなポイントになると言えそうです。これが三つ目の変化です。
こうした変化を受けて、これからの人事は具体的にどんなアクションをとることができるでしょうか。これについては次回後編で詳しく考察してみたいと思います。
執筆者プロフィール
クレイア・コンサルティング株式会社 https://www.creia.jp/
シニアマネジャー 和田 実(わだ みのる)
九州工業大学情報工学部卒業。大手SIerおよび専門商社の人事部門にて、人材開発や人事制度設計、グループ会社の人事ガバナンス改革に携わる。その後、国内系人事コンサルティング会社を経て現職。
主に人事制度改革や人材育成の仕組みづくり、また制度導入後の定着支援を中心にコンサルティングを行う。最近では、タレントマネジメント文脈での人材の発掘・登用、配置・育成の高度化にも従事。