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記者としての取材や編集者としての仕事の中から浮かんだふとした疑問やトピックをご紹介。裁判や企業法務、雑誌・書籍を中心としたこれからのメディアを主なテーマに、一歩引いた視点から考えてみたいのですが、まあ、精密でない頭の中をそのままお見せします。

東京スカイツリーは、江戸と東京の歴史を一望するタイムマシンだ!

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東京スカイツリー開業まで、あと22日(4月30日現在)。

先日、それに先駆け行われたプレス公開に、月刊『東京人』編集部のご厚意で参加してきた。
現在発売中の同誌5月号は「タワー」特集。展望台からの眺望ガイド「展望台から一望!江戸東京歴史パノラマ」、設計・施工・運営の苦労話を紹介する「東京スカイツリー、作ってみたらこうだった」という2本の記事を書いている。スカイツリーだけではなく、古今東西の塔を取り上げ、あらゆる面から「人はなぜ高いところに上りたがるのか」「人はなぜ塔を作りたがるのか」を考える面白い特集なので、ぜひごらんください。

まず、一気に展望台まで上がってしまおう。

内部に桜、祭り、花火、都鳥の四季折々の情景をイメージした装飾が施された「天望シャトル」と名付けられた東芝製のエレベーターは、分速600メートル、50秒で地上350メートルの第一展望台「天望デッキ」まで運んでくれる。
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天望シャトルのドアが開くと、そこは江戸と東京が交錯する世界だ。
いままで未体験の視点。まるでヘリコプターに乗って空撮しているよう。そして、この俯瞰する視点は絵巻物と同じ光景が眼下に展開する。
東京の街区がすべて足下に見渡せる。これは、東京タワーや六本木ヒルズで得られなかった眺望だ。
そして両者が、東京の台地上からの----つまり江戸の武家屋敷の眺望であるのに対し、スカイツリーは町人文化の視点から江戸を眺められるのが大きな特長だ。

まず、南側の眺望を見てみよう。
碁盤の目のような街区が眼下に展開する。
スカイツリーのすぐ南側を流れる北十間側より南側の本所・深川地域は、江戸時代中期以降、江戸の広がりとともに開発された。本所や両国は武家屋敷や(吉良上野介邸も!)蔵町、深川は海を控えた漁師町や船大工で賑わう町人町として栄えた。縦横に走る運河がその風情を残し、「木場」と呼ばれる貯木場の跡は公園になっている。
歩いているとなかなかわからない、街のルーツが一目瞭然なのだ。
そして、一番向こうには、これも完成したばかりの東京ゲートブリッジの姿が(写真にも写っている)。これも見逃せない。
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北側に回ってみると、隅田川上流や荒川を眺めることができる。隅田川の流れは明治期になって現在のルートに整えられ、荒川は明治後半から大正初めにかけて、隅田川の洪水防止のために人工的に掘られた川だ。明治期のこれらの工事が、現代の東京を作っている。東京の、もうひとつのルートである。隅田川にかかる橋も、上流から一番南側の相生橋まで、ほとんどすべてを眺めることができる。これは、主に昭和初期の関東大震災復興事業で作り上げられた景観だ。
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さて、気になるのは東京都心方向の眺めだろう。
プレス公開の日は天気が悪く、視程がとても悪かったが、浅草、上野、池袋、新宿を一望のもとに見渡すことができる。
面白いのは、霞ヶ関から永田町につながる官庁・政治の街の地形がはっきりわかることだ。
なんと国会議事堂が、一段と高い台地の上に建っているさまが真正面に見える。
高いビルのなかった頃は、おそらく東京の低いところからも見えたのだろう。新鮮な眺めだ。

江戸から明治・大正・昭和・平成に至る東京へ。スカイツリーが与えてくれる新しい眺望の価値は、はかりしれない。
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