「棟梁」の宮大工から読み解く人材不足の問題
ある方に勧められて、「棟梁」という本を1年ほど前に読みました。宮大工の棟梁を長年務める著者の小川三夫氏の体験に基づいて書かれており、技術・伝承・弟子の育成について、ありのままに語られています。今回タイトルに人材不足に関する内容を書きましたが、実は本の内容とはほとんど関係がありません。きっかけは、とある電車の「大工育成塾 塾生募集中!」という大工を募集する中吊り広告でした。棟梁を読んでいた自分にとっては、その広告に違和感を感じ、今回改めて読み直した次第です。私は棟梁を読み、技術を継承するのには、ある程度の下積みが必要で、宮大工に関して言えば、一緒に暮らすくらいの覚悟というか、そういった類のものが必要だと思っていました。しかし、この大工育成塾では棟梁で語られていたやり方とはあまりにもかけ離れたやり方に見えたのです。本書籍から受けた大工の背景から、大工育成塾の流れを踏まえ、企業が抱える人材不足について感じたことをまとめたいと思います。
「棟梁」に出てくる宮大工
大工にはいくつか種類がありますが、中でも国宝や重要文化財の建築・修復を手がける宮大工がいます。今年行われている伊勢神宮式年遷宮も宮大工が務めており、より高度で専門的な知識を必要とします。しかし、その専門的な技術の習得にかかる膨大な年月や、近年の少子化が影響していることから、宮大工を育てることが非常に困難となっています。
小川氏が設立した鵤工舎(いかるがこうしゃ)は、棟梁である小川氏と、十数名の弟子たちが一つ屋根の下で暮らし、共同生活をするためにつくった会社です。そこでの宮大工たちは、師匠が全身で伝え、弟子は全身で学ぶという古典的な手法で技術を継承してきました。入門してから最初に教わることは、鉋屑(かんなけずり)です。弟子は師匠の姿をみて、身体で覚えていくということを1年、もしくはそれ以上を費やして学びます。IT業界にいるとなおさら感じますが、1年で新しいものが発明され、めまぐるしいスピードで情報が塗り替えられるこのご時世に、一人前になるまでの時間や、他人との共同生活を強いられることを考えると、入門したいと思う若者は年々減少しているのが実情です。
大工育成塾の取り組み
10年ほど前から大工育成塾という取り組みが始まりました。大工育成塾は、国土交通省より許可を得て事業を行っている一般社団法人で、3年間で大工に必要な技術や知識を学ぶことができます。受け入れ先の工務店がいくつかあり、東京、名古屋、大阪、福岡の4か所で開塾されています。その塾では、大工を志す人たちが毎年100名ほど受講し、少しずつながら大工人口を増やしていますが、それは、鵤工舎がこれまで行ってきた共同生活や師弟制度というやり方とは全く異なる形での育成でした。
大工育成塾では育たない心
大工育成塾はあくまで「塾」であり、そこから先は自分次第です。その先にある宮大工を目指すには、何年、もしく十数年かけて修行する必要がありますし、育てる側は育てるための労力がかかります。それでも小川氏は、自身が運営する鵤工舎において師弟制度や共同生活の中で人を育ててきたのは、技術を伝える上で時間をかけることが必要だったことはもちろんですが、それ以上に大事な「心を育てる」ことを考えていたのではないかと思います。電話をする時に、相手が目の前にいなくとも、頭を下げる動きをする人がいますが、そうした心からにじみ出る動作には、相手に何かしらの形で伝わると思います。鵤工舎は「心」を育てる上で、時代と逆行するスタイルにこだわっていたのではないかと思います。
妥協しなければ人は居続け、育つ
いろいろなところで人材不足が取り上げられているとおり、日本の人口は確かに減少しています。しかし、その人口問題と人が雇えないという問題は別軸です。「塾」というスタイルで大工人口を増やしてきた大工育成塾を否定するつもりはありませんし、そういった場が提供されているのであれば、使わない手はないと思います。
鵤工舎は、決して大きな会社ではありませんが、確実に大工としての存在や建築の実績を残してきました。それは、小川氏が行ってきた育成の結果です。小川氏は、「棟梁」で語った後、鵤校舎から退きました。その後は、弟子が小川氏の意志を受け継ぐことになりますが、共同生活の中で身体に染み付いた意志が絶えない限り、鵤工舎は存在し続けるのだと思います。
完璧な仕事・サービスを提供し、人を惹きつけることができれば、必然的に人が集まるということを小川氏はただひたすら突き詰めてきたのではないでしょうか。