自分の当たり前は他人の当たり前ではない 〜知る、そして活かす〜
コンプレックスの塊だった
昔からいろいろな人と会話をすることが好きで、大人数でご飯に行く時や打ち上げパーティーなどは、次へ次へと席をまわり、さまざまな人と交流してきました。社会人になって、これまで自然にやって来たことが生き、会社関係のパーティーでも同様に楽しく交流ができます。これは、私にとってごく自然で、それが普通でした。今となれば、自分の得意分野とも言えるのかもしれません。
しかし、学生時代はコンプレックスで仕方ありませんでした。多くの人と関わりを持つことはできますが、特定の人とのより深いコミュニケーションがあまりできないのです。「広く浅く」の交友関係は得意ですが、「狭く深く」は苦手なのです。友人は多いけれど、本当に心を許せる人はいないんじゃないかと。その時に、自分の周りには誰もいないのかもしれないとふと気づかされます。これまでしてきた自分のコミュニケーションは間違っていたのではないかと不安になり、悲しくてたまらなくなる時期もありました。
自分の当たり前は、他人の当たり前ではないと気づいた
苦手なことは、気をつけて直そうと思うあまり、得意なことより意識が向いてしまいますが、苦手なことに全力を注いでも、それは「普通」にしかなりません。そういうものだと思います。だからといって、諦めれば良いというわけではなく、自分の個性や特性を認識することが大事なのです。自分が当たり前だと思うことは、周りにとっての当たり前ではありません。そういった違いに気づき、自分を認めることで、爆発的な能力を発揮することができます。
特性は誰でも持っていて、「自分で開花する(=活かせる)ことができるか?」という違いだけです。
得意なことをしている時は、なによりもそれを楽しく思います。社会において、楽しいことが仕事の全てではありませんが、楽しさや、やりがいを感じる部分を見落としたまま過ごすと、1年後に自分を振り返った時、成長の幅は小さい気がします。その小さな成長の幅を繰り返すと、歳を重ねるごとに同年代の人との差が顕著に現れてきます。
コンプレックスが個性に変わる
私の場合、その個性に気づくまではただのコンプレックスでした。コンプレックスだと感じる一方で、感覚的なものなのでそれをやめられなかったのです。人間関係やコミュニケーションを考えた時に、そっちのほうが良いと思っていましたし、なによりもやりやすかったからです。
自己分析など自分を振り返るタイミングの時点では、ある程度の性格を把握していましたが、そういうのは占いに近く、こんなもので能力を図れるものかと疑心暗鬼でした。それが自分の個性だと思えたのは、尊敬し、信頼する方からの言葉でした。「書類の作成はいつまでたっても苦手だけど、率先して人と話していこうとするのは得意だよね。」という何気なく言われた言葉ですが、その時は自分でもバカ素直だなと思うくらい「そうなんだ!」と納得できたのです。データによって解析され、「あなたの性格は○○です」と言われたものではなく、自分のことを見て、出てきた言葉には、すんなりと受け入れることができました。
その後は、自分の個性を活かすにはどうしたらよいのか、ということを考えて動くようになり、自然とそういった仕事に巻き込まれたり、自分が担当することになったり、という循環に変わりました。
何度も言いますが、無理なものをどれだけ頑張って挽回しても、結果は「普通」にしかなりません。だったら、自分の強みを生かした動きをすることが、自分にとって、会社にとっても価値につながるのだと思います。
もし、そういった能力をうちに秘めている人がいれば、ぜひアピールをしてください。
そうすれば、きっと誰かが見つけてくれます。