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【書評】『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史』

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中世ヴェネチアの商人であったマルコ・ポーロは、13世紀頃に編纂された『東方見聞録』の中で、東洋に「ジパング」と呼ばれる黄金郷があると述べています。もちろんこれは誤った情報で、一節によれば、世界遺産にもなった中尊寺金色堂がモデルになっている可能性もあるのだとか。実はマルコ・ポーロ自身がジパングを旅したわけではなく、訪れた中国でジパングの話を耳にして、それをヨーロッパに伝えたわけです。

東方見聞録にはジパングだけでなく、ヨーロッパの東に位置する風変わりな国々の情報が収められており、マルコ・ポーロを嘘つきよわばりする声も少なくなかったそうです。しかし「世界の果てに黄金の国がある」という情景が人々の心に響いたのか、東方見聞録は写本という形で広く普及し、後の大航海時代にまで影響を与えたと言われています。伝聞の中で情報が姿を変え、人々を動かすまでの力を得ることとなったわけですね。

現代に生きる私たちも、こうした話を笑うことはできません。情報は人から人、メディアからメディアへと移り変わるうちに、元の姿から大きく離れていきます。何らかのアイデアが人々の頭から頭へと伝わっていくことを、遺伝子のような「ミーム」が受け継がれていく過程として捉え、その伝播や変容のメカニズムを解析しようという発想がありますが、この考え方に立てば「まったく同じ情報」がアメーバのように分裂を繰り返すことはあり得ないのかもしれません。ちょうど親子のように、よく似ているけれど少し違うという情報が、それを耳にした一人ひとりに与えられるのでしょう。

それは特に、情報をある言語から別の言語へと移し替える「翻訳」という作業において、明確な形で発生することになります。例えば"He cried"という文があった時に、これを「彼は泣いた」とも「彼は泣き叫んだ」とも「彼は涙を流した」とも訳すことができますが、それぞれの訳文は微妙にニュアンスが異なります。もちろん前後の文脈を見て、どの表現を選ぶべきかを考えるのが翻訳というプロセスになりますが、いずれにしても"He cried"を細胞分裂させた日本語が生まれることはあり得ません。何らかの変容が必ず発生し、その程度や方向性は翻訳者によって左右されます。だからこそ、「優れた翻訳書が原著以上の人気を集める」などという現象も起き得るわけです。

では逆に、翻訳の作業において何らかのミスや誤解が生じたらどうなるのか。その極端な事例を見せてくれるのが、『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史』です。

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書) 「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
多賀 敏行

新潮社 2004-09
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2004年発行ですから10年近い前の本になりますが、ここで取り上げられている現象はまったく過去のものではありません。例えば「ウサギ小屋」という表現があります。これは一般的に、欧米人が日本の狭い家屋を揶揄した表現として受け取られていて、実際に先日もこんな記事がありました:

「ウサギ小屋」に住み始めたアメリカ人たち…日本への揶揄どこへ、背景に米国社会の“構造変化” (MSN産経west)

米国の大都市で「マイクロアパート」と呼ばれる住まいが注目を集めている。日本の「ワンルームマンション」に相当し、なかには台所共有の物件も。背景には景気後退や単身家庭の増加などがある。ゆったりとした広さをモットーとしてきた米国流の住まいも曲がり角。かつて日本を揶揄(やゆ)した「ウサギ小屋」に住む米国人が増えてきた。

ところが本書によれば、「ウサギ小屋」というのはこうした価値判断を含む言葉ではなかったのだとか。実はこの表現が最初に登場した欧州共同体(EC)委員会の報告書はフランス語で書かれたもので、それが英語に翻訳される際に"rabbit hutches"(文字通り「ウサギの小屋」という意味)という単語になったのでした。ではもともとの文章ではどうなっていたかというと、"cage à lapin"という単語が使われていて、これはフランス語の慣用句で「画一的な狭いアパルトマンの多くから成る建物」という意味なのだそうです。

本書の著者である多賀敏行氏は、こう指摘しています。

「ウサギ小屋」は、何も日本人のために作った言葉ではなかったのである。フランスでは、部屋の上に別の部屋を重ねていく都市型の集合住宅のことをウサギの飼育場からの連想で俗称として「ウサギ小屋」と呼ぶのである。フランスなどウサギを食用とする欧州ではウサギを入れた箱型の巣を下から上に幾層も重ねていく。

またこんな評価も。

 要するにこの報告書を起草したフランス人と思われる担当官は、フランス語で「日本人はフランスで俗に『ウサギ小屋』と呼ばれているのと同じタイプの狭くて画一的な都市型集合住宅に住んでいる」という趣旨のことを言いたかったに違いないのだが、英語に訳された時、機械的にrabbit hutchesと訳されたため「日本人は『ウサギ小屋』に住んでいる」という極めてどぎつい表現(糞の臭いさえ思い起こさせる)として受け止められてしまったのである。

もちろん"cage à lapin"という表現で、日本を賛美するつもりもなかったのでしょう。しかし少なくとも、日本語の「ウサギ小屋」という表現から感じられる攻撃的な意図は、原文の作者は抱いていなかったはずです。たったひとつの機械的な翻訳が、その後何十年にもわたって「欧米人が日本人を見下していた例」として定着することになってしまったのでした。

しかしここまで「ウサギ小屋」という表現が定着してしまった一因として、それが日本人が心の奥底に抱いていた、潜在的な欧米に対する不信感や自国に対する劣等感もあるのではないでしょうか。仮に誤訳が「ウサギ小屋」ではなく「クマの御殿」だったとしたら、明らかにおかしいとして原文にあたる人が数多く登場したことでしょう。あるいは「日本の風呂はせまい」などという話だったとしたら、これも「そんなバカな」という思いを抱く人が出てきたに違いありません。「欧米の報告書で、日本の家は狭いという指摘がなされた」という話は、それがどこかしら「あぁ、やっぱり」という思いを抱かせるものだったからこそ、これほど長い間誤解されたままになっているのだと思います。

それはちょうど、中世ヨーロッパの人々が抱いていた「遠い国への憧れ」にピッタリ一致する話として「ジパング」が登場したのと同じ構図と言えるかもしれません。こうして誤訳は、それが「繁殖」しやすい土壌を得て、ますます力を得て普及していくことになります。

『「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった』には、こうした受け手側の重要性を指摘している箇所もあります。太平洋戦争が始まる直前、日米が戦争回避に向けて交渉していた頃、米国は日本の電報を傍受して日本側の意図を探っていました。と、そこまでは良かったのですが(日本側にとってはまったく笑えない話ですが)、傍受した日本語を英語に翻訳する際に、悲劇的な誤訳が生まれてしまいます。日本側にはある程度まで誠実に対応し、妥協する意図があったのですが、それを指示する日本文が英文に翻訳される際に「日本は米国を騙そうとしている」としか思えない文章になってしまうのです(この辺りはあり得ない話のオンパレードですので、興味のある方はぜひ本書を手に取ってみて下さい)。そして"これらの誤訳に引きずられてしまった結果、ハルは「日本側は甲案についてまともに話し合う気がない」と確信するに至った"のでした。

ではなぜこんな誤訳がまかり通ってしまったのか。多賀氏はこう指摘します(文中にある「マジック」とは、解読した日本の電報を指す表現です)。

 最後に「マジック」の翻訳者にどの程度の積極的な悪意があったのかという点が気になる。「マジック」が翻訳され始めた頃の時点で米国の指導者達は既に「日本は米国と真剣に交渉する気はなく、ただただ米国をだまそうとしている」という心証を持っていたのであろう。「マジック」の翻訳文はみごとにこれを裏付ける証拠のように思われたので指導者達は熱心に読んだと思われる。

 翻訳者達はこの指導者達の意向を意識して、ある文や言葉で「中立的な意味合い」で解釈するか、「日本はずるい」という方向に解釈するかの二つの選択肢があると思われる場合は「読者」に受けることを狙って後者の道を選んだものと思われる。

「日本人はズルいことをしてくるに違いない」という「読者」たる米指導部の意識と、それに応えようとした翻訳者の意識。その2つが重なることで、あり得ない誤訳が成立してしまったのでした。

しかしこうした構図、メッセージとその受け手がまるでお互いを補い合うかのように成立するという状況は、翻訳の世界に限った話ではありません。極端な話をすれば、新聞や雑誌、本、そしてインターネットなど、あらゆるメディアで見られる現象でしょう。単純なミス、あるいは意図的な操作によって生まれた「受け手の期待にピタリと一致するメッセージ」が力を得て、それが真実かどうかなど誰も気にしないままでに伝播していく――そんな例が1つや2つ、すぐ頭に浮かぶはずです。

その意味で、本書はもちろん翻訳の難しさやおもしろさを教えてくれる本なのですが、一方であらゆるコミュニケーションに共通する怖さも感じさせる一冊です。東方見聞録は「大航海時代」という人類史の重要な一時代を築く基礎となりました。しかし明日生まれる誤訳や稚拙なコミュニケーションが、そんな輝かしい時代をもたらすのか、あるいは戦争のような暗い時代をもたらすのかは誰にも分かりません。

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