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「思想で食べる」ということ――【書評】『それでも、世界一うまい米を作る』

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奥野修司さんの『それでも、世界一うまい米を作る』を読了。最近よく「頑張って農業やってます」がテーマの本や新聞・雑誌記事を目にしますが、本書はタイトルの通り「世界一うまい米を作る」ことに全力を尽くす人々を追ったもの。しかしそれだけに留まらず、彼らを取りまく日本の農業・食糧事情、そして日本を取りまく世界の農業・食糧事情が語られ、いまどんな問題が起きているのかを俯瞰的に捉えることができるようになっています。農業に関心のある方は、いや農業に関心の無い方こそ、時間を割いてでも読んで欲しいと思わせる一冊です。

物語の中心となるのは、福島県須賀川市にある「ジェイラップ」と「稲田アグリサービス」という2つの会社と、それを取りまく人々の姿。彼らは文字通り「世界一うまい米を作る」を理想に掲げ、脱農薬・有機での農作物の栽培に尽力しています。その過程でどのような障害があったか(ご想像の通り、日本の農政がいかに機能停止状態に陥っているかが語られます)、それをどう乗り越えたかが解説される辺りは、経営のケーススタディとしても興味深い内容でしょう。特に中心人物である伊藤俊彦氏の活躍は、農業に限らず新しいことを起こそうとしている人々にとって参考になると思います。

しかし本書は単に「こんなに頑張っている人々がいるよ」というロマンを語る、プロジェクトX的な本ではありません。第5章、舞台は突如中国に飛び、そこから日本の食糧事情がいかに危うい基盤の上に成り立っているか、食糧安保が掛け声倒れになってしまっているか、なぜ伊藤氏のような人々の存在が大切なのかが語られていきます。食糧危機については賛否両面から議論が行われていますが、特に日中の関係と日本の農政について焦点を当てた本書は、議論に有意義な視点を与えてくれるはずです。

食糧危機が現実のものになるかどうかは別にして、日本の農業事情が大きな問題を抱えていることは事実でしょう。その解決に向けて、私たち消費者はどんな貢献ができるのか。実は私たち消費者の嗜好も、食糧危機を招いている一因であることを本書は指摘します。消費者が見栄えの良さを求めた結果、生産過程で使われる農薬の量が増えてしまったこと。また流通ルートで廃棄される農作物の量が増えてしまったこと。そして安全よりも安さや効率性などが追求されてしまったことなどを、本書では「経済で食べる消費者」と「思想で食べる消費者」という対比で描いています:

消費者は、「うまくて安全な食べ物を作るにはそれなりにコストがかかる」(伊藤)ことに気がつかないふりをしてひたすら安さを求めてきた。そして業者は、消費者の要求に応えるために中国へ、ベトナムへと向かう。これが「経済で食べる消費者」だ。

その一方で、比較的高い米も売れているのは、そんな消費者ばかりではないからだ。伊藤ジュニアの大輔は、ある会合に参加したとき、ドイツへ視察に行った農家からこんな話を聞いたという。

「ドイツでは国産のリンゴジュースが飛ぶように売れています。おいしいから?いえ。安いから?いえ。こう言われました。私たちがこのジュースを買わなかったら、一面に広がる美しいリンゴ畑が消えてしまう。あの風景を残しておきたいから、このリンゴジュールを飲むんですよ」

日本でもこんな消費者がいる。

「稲株三株でお茶碗一杯のお米がとれる。稲株三株にはオタマジャクシが二五匹生きている。私たちが無農薬米や減農薬米を一杯食べることで、田んぼにいるオタマジャクシが二五匹生きられ、それを育てた農家が助かり、美しい田園風景も残る」

安ければなんでもいいという消費者は、自分の「食」によって起こりうる未来をイメージできない。逆に国産の米や大豆を食べることで農村風景を残したいと思う人は、未来が想像できる人だ。これが「思想で食べる消費者」である。

消費者である以上、安さを求めてしまうのは当然のことだと思います。しかしそれがどんな結果をもたらすのか十分に考え、少なくとも経済「だけ」で食べる消費者にならないよう、私たち一人ひとりが心がける必要があるのではないでしょうか。仮に安さを追求するにしても、できる限り情報を集め、違法な手段や危険な手段を使って「安さ」を実現した作物については、選択肢から外して考える。最低でもそのような努力をしていかなければならないと思います。

しかし残念ながら、現在の日本は「貧困」という問題も同時に抱えています。貧困状態にある人々に向かって、「日本の食糧事情を改善するために、安さばかりを追求するのは止めよう」と言っても効果はないでしょう。逆に言えば、この問題を放っておけばますます「経済で食べる消費者」が増え、安全な農作物を作ろうとしている人々は更なる苦境に陥るはずです。本書が想定するような危機のシナリオが、より早く、そしてより深刻さを増した形で現れる危険もあるのではないか――そんな恐ろしさも感じた次第です。

どうしても農業というと、農政や農家、農協が悪いという論調が強く、消費者の責任は無視されてしまいがちです。もちろん消費者が「危険でも何でもいいから、安い作物を持ってこい!」と大声で叫んでいるわけではないのですが、農作物だって結局は市場に左右される存在。私たち一人ひとりの選択が、私たち自身の未来を決めるのだということを忘れずにいたいですね。

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