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相互に補完しあう関係としての職業記者/ブロガー

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先週、Business Media 誠で「新聞、テレビ、ネット……メディアを分類することに意味はあるのか?」という記事が掲載されていました。その内容についてこのブログで反論を書いたのですが、続きとなる記事が出ていましたので、感想を述べてみたいと思います。

オーマイニュースが、日本で普及しなかった理由 (Business Media 誠)

若干ロジックに不明瞭な部分があったのですが、僕個人としては、以下のような主張だと理解しました:

  1. 「これは大変なことだ」と一目で判断できる出来事と、そうでない出来事がある。前者は報じるのが簡単で、後者は難しい(深層まで追求してニュース性を示さなければならないため)。
  2. 報じることが難しい「一目で大変だと判断できない出来事」は、訓練を積んだ記者にしか手を出せない。もしくは素人が手を出しても、ニュース性が感じられる記事を書くことはできない。従って、「市民記者」を集めてもアクセスを稼げるサイトは生まれない。
  3. 訓練された記者が一番多いのは紙メディア。従って、紙メディアは生き残る価値がある。

これが「日本で」オーマイニュースが成功しなかった理由を説明していると言えるのか(ちなみに韓国版はアクセス数を減らしつつも存在しています)、報じるのが簡単な出来事だけを追う市民記者サイトなら成功するのか、また「訓練された記者」が紙からネットへと流れたら紙メディアは価値が無くなるのかなど細かい反論もあるのですが、ロジックの根幹となる「一目で大変だと判断できない出来事は、訓練を積んだ記者でないと報じるのは困難」という点についてだけコメントしておきます。

例えば僕が、医療問題について語ったとしたらどうでしょうか。最近家族が入院したこともあって、医療関係の問題を扱った本を何冊か読んでいるのですが、それでもまだまだ知識は不十分です。近くの歯医者で虫歯を治療してもらったのに、すぐに痛みが再発してしまったとしても、それが「医療事故」などと呼べるのかどうか、仮に事故だとして何に根本的な原因があるのかは分かりません。また仕事を休んでまで、原因追及に時間をかけることもできません。その意味で、僕が医療問題について「ニュース」を書くことは非常に難しいと言えるでしょう(あのヤブ医者め!という愚痴をブログに書くことはできるだろうけど)。

しかし仮に、僕が医療関係者だったとしたらどうでしょうか。受けた治療について正しく把握し、医師の何が問題だったのか、そしてその裏に構造的な問題(病院のクオリティに関する客観的な評価機関が存在しないなど)は無いのかなどを考えることができるはずです。そして問題があれば、それを分かりやすく解説してブログに載せることもできるでしょう――これは既に多くの医療関係者がネット上で行われていることで、例えば『新小児科医のつぶやき』というブログは、2007年度のアルファブログとしても認定されています。さらに医療関係以外でも、専門家の方々が各々の専門分野について、時には新聞・テレビ以上の深い分析を分かりやすく解説されています。

このように、「記事を書くトレーニングも、特定の分野を継続的に追うこともしていない=記者にしかニュースは書けない」というロジックは成り立たないはずです。組織化されていないだけで、記者以外にも専門的なニュースを「ニュース性を感じられる形で」書くことのできる人物は多数存在しているでしょう。いや、そんな人がいてもネットに書かなければしょうがないだろと言われてしまうかもしれませんが、「書く力があっても書かなければニュースにならない」というのは現在の新聞も同じことです。この点については、上掲の記事でも指摘されています:

ニュースは、世の中のあらゆることを伝えているわけではない。世の中で起こっていることをメディアの人間がすべて知り得ているわけではないし、その中から何が重要かを一応判断しているとはいえ、その判断からこぼれた重要なニュースが絶対にないとは言い切れない。

最後の文、二重否定で分かりづらいのですが、要は「新聞が見逃している重要なニュースもある」ということでしょう。記事を書く専門のトレーニングを積んでいるとはいえ、ごく限られた人々がビジネスとしてニュースを追うのですから、人目を引かないような事件が見過ごされてしまうのは至極当然のことです。ブロガーの自発的な意志に任せられているとはいえ、むしろ非常に多くの人々が(中には非営利で)活動しているネットこそ「メディアが群がるような猟奇的な殺人事件」以外の事件を追う役割を担っているといえるのではないでしょうか。

それをどう組織化して、「オーマイニュース」のようなビジネスにするかはまた別の話です(指摘するまでもありませんが、オーマイニュースジャパンだけが日本の市民ジャーナリズムサイトだったわけではありません)。個人的な意見としては、1つのサイトに専門家を集めなくても、例えば newsing やはてなブックマークのようなソーシャルニュースサイトが記事を集約することで事足りるのではないかとも考えています。しかしもちろんソーシャルニュースサイトと個人ブログだけあれば良いと言っているのではなく、職業としてニュースを追いかける人々、自分の関心・専門領域の中で価値のある記事を書く人々、様々なニュースの中から重要なものをより分けてネットにまとめる人々など、様々なグループがお互いを補完し合うのがベストなのではないでしょうか。

というわけで、新聞やテレビ等の職業記者とブロガーが対立するのではなく、お互いがお互いを補完し合ってニュースをまとめていくのがあるべき姿だと考えています。さらに言えば、まとめられたニュースがどんなメディアを通じて読まれるのかは読み手が決めることであり、新聞で読みたければ新聞で、ケータイで読みたければケータイでというのが理想型のはず――それこそ「新聞・テレビ・ネットなどという分類を行おうとするのが間違い」なのではないでしょうか。少なくとも「いま紙向けに書いている記者が多いから紙が残るべき」というロジックには無理があるように思います。

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