「心臓マッサージは、サウナや温泉のマッサージよりも安い」
お休みなので、軽めのネタで(って、テーマは全然軽くないのですが)。
先日、映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』を観てきました。前作『チーム・バチスタの栄光』もヒットしましたので、余計な説明は不要かもしれませんが、現役の医師でもいらっしゃる海堂尊さんが書かれたミステリー小説が原作の映画です。この小説は「田口・白鳥」という2人の主人公が活躍するシリーズの一編なのですが、シリーズ累計で約700万部にまで達する人気となっているのだとか。
結論から言って、この映画はいま絶対に観ておくべき作品の1つだと感じました。純粋に娯楽作品として楽しめるのはもちろんのこと、舞台となっている救急医療の姿をきちんと描いており、現在の救急医療がどんな問題を抱えているのかが理解できるようになっています(一時期ネット上で話題となった「トリアージ」の場面も登場しますよ)。ネタバレは避けますが、特に堺雅人さん演じる速水医師(救急救命センターのセンター長役)の言葉の1つ1つにズシリとくるような重みを感じました。
その中で特にエッと思わされた言葉が、タイトルに関係する一言。速水医師が救命センターに運び込まれてきた患者の心臓マッサージをしながら、主人公の一人・竹内結子さん演じる田口医師に向かってこう言います:
この患者を1時間心臓マッサージして、いくらになると思う?
セリフの中には具体的な金額も登場するのですが、よく覚えていないので別のソースを紹介しておきましょう。まずはこちら、『ジェネラル・ルージュの凱旋』の医療監修も行われた、埼玉医科大学総合医療センター・高度救急救命センター長の堤晴彦教授の言葉です:
■ シナリオ通りの「医療崩壊」 (CBニュース)(※閲覧には無料の会員登録が必要になります)
皆さん、ご存じないかもしれませんが、医師の労働時間は一般企業の労働者に比べてはるかに長く、夜間の当直料がファミリーレストランのアルバイトさんの時給よりも安い病院もあります。頑張っても給料が安い。救急患者をいくら診ても給料は同じ。それは、救急医療に取り組む病院が赤字になる構造があるからです。
例えば、点滴に使うチューブや注射針などの医療機材は保険請求できません。創傷の処置に用いる大量のガーゼや包帯、尿をためる袋も病院の持ち出しです。心臓マッサージの医療費は、サウナや温泉のマッサージよりも安い。
次に一般のブログから:
■ 心臓マッサージ30分、2,500円 (AHA-BLSインストラクター日記 ~ 心肺蘇生教育最前線)
医学通信社から出ている 診療点数早見表 という本(?)を見ると、医療点数、つまり診療費の各単価、計算方法がひととおり載っています。
それによると、非開胸式心臓マッサージは30分までが250点、1点は10円として計算しますので、2,500円というのが公式な値段になります。30分を越えると、30分ごとに40点(400円)が加算されていきます。
私が心肺蘇生を教えるときには、2分間のCPRがいかにキツイか、というのを体験してもらって、「ね、だから交代は大切でしょ?」みたいな話をするのですが、30分ひたすら心臓マッサージ(胸骨圧迫)して2,500円という値段、皆さんはどう思いますか?
町中にあるマッサージ屋さんにいくと、20分2,000円とかで、だいたい1分百円というのが相場みたいです。そう考えるとなんだか複雑ですよね。
信じられないことに、命を救うための心臓マッサージと、温泉などでリラックスのために受けるマッサージがほとんど同じ金額。あるいは心臓マッサージの方が安いのだそうです。もちろん一般のマッサージが低レベルなどと言うつもりはありませんが、心臓マッサージの重要性があまりにも認められていないのではないでしょうか。
問題は心臓マッサージの料金だけではありません。同じく映画の中でも指摘されることなのですが、これはパンフレットから引用しておきましょう。同じく、前述の堤教授の言葉です:
映画の中でも描かれていますが、病院で使う包帯やガーゼは保険請求できません。つまり、使った分はそのまま病院の赤字になります。点滴のラインという管がありますね。あれも請求できません。患者の体内に入るものでなければ請求できない。つまり点滴の中身と針は請求できるが、管は請求できないというわけです。院内感染を防ぐための使い捨ての帽子やマスクやガウン、これも保険請求できません。これではマジメに院内感染対策をすればするほど、莫大な費用がかかる……ということになります。注射器もダメです。注射器の針も注射したら身体から抜くので請求できない。
救急救命センターで使われる消耗品類は、ほとんどが病院側の持ち出しとなり、病院経営を逼迫させる一因となる、と。さらに先ほどの心臓マッサージのように、医師の行為に十分な手当が行われず、過酷な現場であることから医師の確保も難しいといった要因が重なって、救命センターの維持というのはどの病院にとっても難しい課題であるわけですね。恥ずかしながら、僕はこういった事実を初めて知ったのですが、これでは昨今問題となっているような「救急患者の受け入れ拒否」という問題が起きない方がおかしいでしょう。そんな不勉強な観客の心を見透かしたように、速水医師はある場面で以下のようなセリフを放ちます:
あんたらは、救急救命センターがどうやって回っているのか、誰も疑問に思わなかったのか?
このセリフはもちろん作品内の登場人物に向けられたものですが、僕には日本人一人ひとりに向けられたものであるように感じました。昨日のエントリのテーマ「貧困」においても、一般人の「無関心」が問題を悪化させていることが指摘されていましたが、医療の分野においても無関心がもたらす悪影響が非常に大きいのではないでしょうか。
もちろん医療費の膨張というのも一方で大きな問題であり、あらゆる医療行為にいくらでもお金を注ぎ込むということはできません。一方でビジネスライクに考え、省くべきムダはどんどん省くということも大切でしょう。しかしそれが行き過ぎてしまうことを防ぎ、人命と社会システム全体をバランスさせるためには、私達全員がこの問題に注意を向け、関心を継続して維持していくことが必要だと考えます。『ジェネラル・ルージュの凱旋』は、そのスタート地点としてこれ以上ない程の一本であるように感じました。