ケータイがもたらす「地図的思考」
「インターネットが人間の思考回路を変える」的な議論は様々な方が唱えていますが、そこから更に進んで、「ケータイが思考を変える」という指摘が登場しています:
■ The Cellphone, Navigating Our Lives (New York Times)
The cellphone is the world’s most ubiquitous computer. The four billion cellphones in use around the globe carry personal information, provide access to the Web and are being used more and more to navigate the real world. And as cellphones change how we live, computer scientists say, they are also changing how we think about information.
携帯電話は世界で最もユビキタスなコンピュータだ。世界中にある40億台の携帯電話が、ユーザーの個人情報を維持し、ウェブへのアクセスや現実世界のナビゲーションに使われるようになってきている。そしてコンピュータ科学者が言うには、携帯電話は私たちの生活を変える一方で、私たちの情報というものに対する捉え方も変えつつあるのだ。
という書き出しで始まる、なかなか興味深い記事です。いまや世界中の人々が持つようになった、真の意味でのユビキタスコンピューター「携帯電話」。人間の情報処理に対して何らかの影響があって当然ですが、その具体的な内容として、記事はこう続きます:
It has been 25 years since the desktop, with its files and folders, was introduced as a way to think about what went on inside a personal computer. The World Wide Web brought other ways of imagining the flow of data. With the dominance of the cellphone, a new metaphor is emerging for how we organize, find and use information. New in one sense, that is. It is also as ancient as humanity itself. That metaphor is the map.
デスクトップコンピュータが、ファイルやフォルダといった概念と共に登場し、パーソナルコンピュータの中で何が起きているのかを捉える方法となってから25年。ワールド・ワイド・ウェブは情報の流れをイメージするもう1つの存在となった。そして携帯電話が世間に広まる中で、私たちがいかに情報を整理し、発見し、利用するかを喩えるものとして新たなメタファーが登場しつつある。それは一面では新しい概念だが、人間と同じぐらい古い歴史を持っている。そのメタファーとは「地図」だ。
「地図的な情報の捉え方」と言われても分かったような分からないような感じですが、最近地図をインターフェースに組み合わせたアプリケーションを目にすることが多いのはお気づきだと思います。携帯電話は文字通りモバイルな端末であり、さらに位置情報を付与することもできますから地図系アプリケーションとは相性が良いわけですね。また最近の「携帯電話+AR(拡張現実)」といった方向性に関しても指摘があります:
With this sort of map it is possible to see a three-dimensional view of one’s surroundings, including the annotated distance to objects that may be obscured by buildings in the foreground. For starters, map-based cellphones simply translate paper maps into a digital medium, but future systems will probably begin to blur the boundaries between the display and the real world.
この種の地図の使い方として、例えば三次元的に周囲の環境を表示し、ビルの後ろにある対象までの距離を風景にオーバーラップさせるといった可能性が考えられる。地図をベースにした携帯電話は、当初は単純に地図をデジタルメディアに置き換えたような存在に過ぎないだろうが、将来的にはディスプレイと現実世界との境界線は曖昧になっていくだろう。
ちょうどセカイカメラが一般向けにお披露目されていますが、まさしくこのイメージで「世界そのものや縮尺された空間に情報をオーバーラップさせる」というナビゲーションが今後一般的になってゆくのでしょうね。もちろん「ディレクトリ」「フォルダ」「ファイル」といった概念は消えないでしょうし、もっと古い存在、例えば本のようなリニア型テキスト情報も無くなることはないでしょう。しかし空間を捉えるように情報も捉えていく、という方法に慣れ、それを求める人々は確実に増えていくと思います。
それが良いことかどうかは分かりません。思考法における話だけでなくあらゆる方法には長所と短所があるものですから、「グーグル脳」と同じイメージで「ケータイ脳」と揶揄する人も出てくれば、逆に空間認識や地理的知識に優れた人々の増加を歓迎する声も出てくるのではないでしょうか。価値判断は別にして、ケータイ+地図+拡張現実という組み合わせが、私たちの意識を少なからず変えてゆくだろうという指摘は胸に留めておくべきだと感じています。