「番狂わせ」に学ぶ
EURO2008もいよいよクライマックス。だからという訳ではないのですが、たまたま書店で手に取った『4-2-3-1―サッカーを戦術から理解する』を読了。面白くて一気に読んでしまいました。
この本、タイトルの通り「サッカーを戦術(布陣)から理解する」という内容。4-2-3-1 や 3-3-3-1 など、多種多様な布陣を頭に描きながら読み進めなければいけないのですが、パズルを解くような感覚で楽しむことができます。ともすれば、日本のサッカー解説は「司令塔が存在感を発揮」「ファンタジスタの右足が試合を決めた!」などといった感覚論で話が進みがち。しかしこの本は、首尾一貫して「布陣」から冷静に試合(ユーロやCL、W杯の名勝負から、日本代表がボコボコにされた一戦まで)を読み解いていきます。Amazon の書評を読むと、逆に「布陣(戦術)だけでサッカーを語るには無理がある」「戦術の理解に偏りがある」といった批判もあるようですが、サッカーの素人としては新しい視点を与えてくれたという感想。理解に偏りがあるという指摘も、サッカーに限らずあらゆる戦略・戦術論についてまわる問題で、興味が湧いたら別の解説者の見解にも触れてみれば良い話でしょう。
この本の中で、サッカーに限らず、ビジネスにおいても忘れてはならないと感じる指摘がありました。それは「番狂わせに学ぶ」という姿勢。例えばこんな箇所があります:
ユーロ2004の準決勝でギリシャがチェコを下し、決勝進出を決めると、日本人も欧州人と一緒になってつまらないカードになったと嘆いた。もし、守備的で面白みに欠けるギリシャに優勝されたらモノは売れないと不安がった。
(中略)
2年後のドイツワールドカップで日本が実践してみたいことを、ギリシャはユーロ2004で実現してみせたのだ。日本人にとっては本来、眩しく見えていい存在になる。番狂わせの原因を紐解くことが日本に課せられたテーマだとすれば、欧州人と同じ目線でつまらないと嘆く姿は、トンチンカン甚だしい。
確かに2004年、ユーロでギリシャが勝ち上がってきた時は「他の国が勝ち残れば良かったのに」といった空気があったように思います(優勝によって「ギリシャすげー!俺は応援してたけどね」という空気も生まれましたが――特に“サッカー通”芸能人の間で)。またこういった姿勢はユーロ2004に限った話ではなく、さらにはサッカーに限った話ではないでしょう。知名度が低い国やチームが上位に上がってきても、無視して憧れの国・強豪チームの華々しい活躍を期待したり、彼らの活躍の原因を「まぐれ」や「相手チームのふがいなさ」、あるいは「弱小国に奇跡的に登場したヒーロー」に求めたり。最悪の場合、「ドーピング」や「買収」なんて疑惑が語られたりします。好きな国・チームを応援したいというのは当然の心理ですが、もう少し弱者の戦い方を賞賛してもいいように感じます。
もちろん王者を理想像にするのも悪いことではないでしょう。日本がブラジルのような国だったら、僕の会社が Google のような企業だったら。そこを目指していくのも良いですが、それが実現できない間に王者の戦い方をするのは論外です。iPhone を作れなかった会社が、iPhone を真似た製品を開発しても成功はできないでしょう――むしろ iPhone の攻撃を食い止めている「弱者」を探し出して、彼らに学ぶべきです。
本書からもう一節、よりダイレクトに「番狂わせ」の重要性を語った部分を引用しておきましょう:
こちらがインタビューでオシムにこの話(※引用者注:06~07の欧州スーパーカップ、セビーリャ vs. バルセロナの試合内容)を振った理由は、日本という弱者を率いる彼が、弱者が主役となった番狂わせをどう見たか、に興味を抱いたからだ。番狂わせは、弱者の工夫なしには生まれない。戦術的な考察が吉と出なければ、むしろ火に油を注ぐ結果になる。
弱者であるならば、番狂わせには敏感にならなければならない。個人の技量で勝る強者に対して、なにをもって臨んだか。日本のサッカーには、その工夫の中身を学んでいく必要性を強く感じる。
どこかで「王者」と呼ばれる組織や集団に所属しておられる皆さま、おめでとうございます。他の分野や業界の王者を研究して、横綱相撲に邁進して下さい。それ以外の圧倒的多数の皆さま、上の言葉は、胸に刻み込んでおくべきではないでしょうか。少なくとも、ファンタジスタの登場を期待するよりも建設的な姿勢であると思います。