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「氷山の一角」は、見えない部分より見えている部分の方が恐い

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「氷山の一角」という言葉があります。見えている部分だけが全てだと判断してはいけない、見えない部分にも危険が潜んでいるぞという戒めですが、「氷山の一角」の本当の恐さは「見えている部分」にあるのではないでしょうか。

トヨタは「カイゼン」のノウハウを公開しているのに、なぜカイゼンを自社内に根付かせることに成功する企業が少ないのか -- 様々な理由が考えられますが、説得力のある説明の1つに「見えている部分が全てだと勘違いしてしまう」というものがあります。QCサークルなどといった表層的な仕組みだけを見学して、それを導入するだけでいいのだと判断した結果、カイゼンの原動力となる社内文化や社員の意識といったものを改革することを軽視してしまう、という指摘です。まさに氷山の一角と呼ぶべき内容ですが、この問題は「見えている部分」が見学者を惑わし、本当に重要な部分を見えなくしてしまったことに原因があるのではないでしょうか。

「見えている部分」の恐さは2つあります。まず上記の通り、「それが全てだ」と人々に思わせてしまう可能性があること。これは本気でそう考えてしまう場合もあれば、「調査など早く終わらせたい」という気持ちから目の前に見えているものに飛びついてしまう場合もあるでしょう。いずれにしても、分かりやすい事例はその先にあるものへと続く道をふさぐ壁となり得ます。

2つ目の恐さは、「見えている部分」が実は誤った方向に導く場合があること。いわゆる暗黙知というものは、理路整然と表現することができないからこそ暗黙知なわけで、これを無理に表層化しようとすれば知識は歪曲されてしまいます。無意識に潜む知識について分析した本『第1感』の中には、「プロスポーツ選手にテクニックを聞いたところ、事実とまったく異なることを伝えられた」という例が出てきます。これはスポーツ選手がウソをついたからではなく、彼らにも説明できない知識を言葉にしようとした結果、誤った形で表現されてしまったためです。私たちの目の前にある「見えている部分」が、そんな歪曲化された知識ではないと信じる理由はどこにあるでしょうか?

いわゆるベストプラクティスというものを学んだり、ベンチマークを行ったりする場合には、常に「目の前にあるもの以外に重要な部分を見落としてはいないだろうか」という態度で臨み、「氷山の一角」を防ぐ必要があると思います。そのためには、あえて見えているもの・分かりやすいものを脇において、ゼロベースで考えることを定期的に行う必要があるのではないでしょうか。

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