時間が解決したんじゃない。誰かが諦めずに変え続けてきた──映画『熱狂をこえて』を観てきました
皆さんは「LGBTQ+」という言葉をいつ知りましたか?
今やDEIが当たり前になり、この言葉を知らない人の方が少数派になりました。でも、ほんの10年ちょっと前の私は、ほとんど知識も無ければ、当事者と話したこともほとんどありませんでした。
先日の日曜、吉祥寺パルコのアップリンクで、ドキュメンタリー映画『熱狂をこえて』を観てきました。監督の松岡弘明くんは、社会創発塾二期で一緒に学んだ戦友。上映後には松岡くんと、作品にも出演されている小川チガさんの対談もあり、濃密な時間でした。
1994年、日本初のプライドパレードを立ち上げた男
この映画は、1994年に日本初のプライドパレードを実現させた活動家・南定四郎さんの半生を描いたドキュメンタリーです。樺太生まれ、秋田育ちの南さんは、1984年にゲイ解放運動を始め、日本のプライド運動の礎を築いた人物。しかし独自の信念への固執から周囲との溝が深まり、第3回パレードで大きな反発を受けて第一線から退くことになります。
タイトルの『熱狂をこえて』が効いてきます。運動の「熱狂」の内側にあった理想と孤立。社会を変えようとする営みは、外から見えるほど美しい一枚岩ではない。そこから目をそらさずに撮っているのがこの映画のすごいところです。
私がアライになったきっかけ
松岡くんと初めて会った2014年、当事者である彼からいろいろな話を聞きました。ミックスジュースというプロジェクトでは、トランスジェンダー活動家の杉山文野さんへのインタビューも彼にアレンジしてもらい、「LGBTQ+の人でも幸せな家庭、特に子どもを育てることができる日本を作るにはどうしたらいいか」を当時真剣に話し合いました。あれから12年。具体的なアクションはできていませんが、アライとして理解に努めてきたつもりです。
そのとき痛感したのは、人の価値観、特に大人の価値観や考え方を変えるのは本当に大変だということ。これは今振り返っても変わらない実感です。
美輪明宏さんが切り拓いた道
この映画を観た数日前、美輪明宏さんの訃報が届きました。6月20日、91歳。「ヨイトマケの唄」や「黒蜥蜴」で知られる美輪さんは、まだ「同性愛」を口にすることすらタブーだった1950年代から、自らのセクシュアリティを隠さずに生きた人でした。南さんがパレードを立ち上げる40年も前に、たった一人で偏見の最前線に立っていた人がいたわけです。
時間が解決することも多い。でもその裏側では、諦めずに変えようと懸命にアクションし続けてきた人たちがいた。美輪さんがいて、南さんがいて、その積み重ねの上に「LGBTQ+を知らない人の方が少数派」の今がある。その努力が無ければ、40年前と今は、もしかしたら何も変わっていなかったかもしれません。
日本のジェンダー問題は「まだ道半ば」
一方で、数字を見ると日本はまだまだです。世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数2025で、日本は148カ国中118位。G7で100位にすら入れなかったのは日本だけで、特に政治分野のスコアは0.085と絶望的な低さです。同性婚も未だ法制化されておらず、高裁レベルでは違憲5件・合憲1件と判断が分かれ、今年3月にようやく最高裁大法廷に回付されました。統一判断は2027年初旬とも言われています。
つまり、変化は「自動的に」は起きない。南さんの時代から30年経った今も、誰かが声を上げ続けているからこそ、司法が動き、社会が動きつつあるわけです。
変えることの難しさと、変わることの難しさ
もうひとつ、この映画が突きつけてくるのは「自分が変わることの難しさ」です。運動の先頭に立った南さん自身が、時代の変化とのずれに苦しむ姿も映画は描きます。社会を変えようとする人ですら、時代に合わせて自分を変え続けるのは難しい。ならば、常に学び続けるしかない。GTMだの生成AIだのと日々新しいものを追いかけている私ですが、価値観のアップデートこそ一番難しくて一番大事なのだと、改めて思い知らされました。
『熱狂をこえて』、アップリンク吉祥寺ほかで上映中です。ぜひ劇場まで足を運んでください。