ニューヨークへ行きたいかー!アメリカ横断ウルトラクイズ28年ぶり復活、Fable 5時代の「第1問」を大予想
「ニューヨークへ
行きたいかー!」
このフレーズを聞いて胸が熱くなった方、おそらく同世代ですね。昨日7月18日、日本テレビが『アメリカ横断ウルトラクイズ』の復活を発表しました。番組誕生50周年記念、1998年の「今世紀最後」以来、実に28年ぶりの開催です。発表の仕方も派手で、18日の19時1分、渋谷スクランブル交差点の大型ビジョン6面を5分間まるごとジャックしての告知。新MCは櫻井翔さん、放送は年末年始予定。しかも今回はアメリカ横断にとどまらず、ヨーロッパ→アフリカ→アメリカと3大陸を巡る全行程約4万2000キロ、出題1000問以上という「地球一周規模」へのスケールアップだそうです。
近頃の若い人は『ウルトラクイズ』と言われてもピンとこないかもしれません。でも我々の世代から上にとって、これは単なるクイズ番組ではないのです。今日はこの復活のニュースを、番組と浅からぬ因縁(と勝手に思っている)の私が、思い入れたっぷりに書かせてもらいます。
実はウルトラクイズとは「同い年」である
アメリカ横断ウルトラクイズが始まったのは、日本テレビ開局25周年の1977年。私が生まれた年です。つまり自分と同い年。番組が50周年ということは、私も生まれて50年目という節目なわけで、これはもう他人事ではありません。
子どもの頃、テレビの前で「いつかは出たい」と思っていました。ところが出場資格は「18歳以上(高校生などの学生は除く)」。子どもには早すぎる。そして待っている間に、レギュラーでの毎年開催は1992年の第16回で終了してしまいました。私が中学生の頃です。間に合わなかった。
1998年、日テレ開局45周年で「今世紀最後」と銘打った一度きりの復活(第17回)がありました。このとき私は20歳。年齢的には出られた。でも、就職氷河期ど真ん中の世代です。クイズの旅は勝ち残れば数週間に及びます。やっとの思いで掴んだ職を「クイズに出たいので」と投げ打つ勇気はありませんでした。同じ判断をした同世代、結構いたんじゃないでしょうか。
ちなみに1983年から毎年続いている高校生クイズ(全国高等学校クイズ選手権)という手もあったのですが、私のいた桐蔭学園は「テレビに無断で出たら退学」という校則の学校で、当然、高校生クイズへの出場も認められていませんでした。つまり私、人生で一度もウルトラクイズ系の大会に出るチャンスがなかったんです。今回の復活は、そういう人間にとっての、おそらく最初で最後の敗者復活戦なのです。
東京ドームの第1問という、テレビ史に残る発明
ウルトラクイズといえば、何と言っても第1次予選。第11回までは後楽園球場、第12回からは東京ドームに数万人が集まっての○×クイズです。参加者数は回を追うごとに膨れ上がり、1998年の「今世紀最後」では過去最多の約5万人。応募は7万人を超え、2万人以上がドームに入れなかったといいます。
そして、ここからが若い人に一番伝えたいところなのですが、この第1次予選の「第1問」には、とんでもないルールがありました。出題されてから解答するまでに猶予時間が与えられ、その間、何で調べてもいいのです。レギュラー時代の制限時間は1時間。家族や友人に電話をかける、辞書を引く、何でもあり。
携帯電話なんてない時代です。当然、球場周辺の公衆電話には長蛇の列ができました。後ろから「早くしろ」と催促されながら、必死に受話器にしがみついて答えを聞き出す挑戦者たち。中には、西郷隆盛像に関する問題が出た年に、タクシーや電車で上野公園まで走って実物を確認しに行った猛者もいたそうです。問題の答えを「調べる」のではなく「見に行く」。この画の面白さこそ、ウルトラクイズがただのクイズ番組ではなかった証拠だと思います。
では、携帯電話が普及した1998年はどうなったか。制限時間は20分に短縮され、問題発表後はドームから出られないルールに変更。さて携帯で調べ放題か......と思いきや、5万人が一斉に電話をかけたことで場内は電波障害を起こし、携帯もノートPCの無線通信もまともに使えなかったそうです。調べるためのテクノロジーが、調べたい人間の数に負けた。これはこれで時代を映す名場面です。
歴代の「第1問」を全部貼っておきます。答えは自分で考えてね
第1次予選の第1問は、「決勝地ニューヨークの自由の女神に関する○×問題」が恒例でした(第2回で初登場し、第4回以降は定番化。例外は上野動物園のパンダ問題だった第1回、水戸黄門問題の第3回、決勝地がパリだったためエッフェル塔問題になった第9回)。せっかくなので、第1回から第17回まで全部並べてみます。答えはあえて書きません。自分で考えてね!
- 【第1回・1977年】上野動物園のパンダ夫婦の名は、リンリンとランランである
- 【第2回・1978年】ニューヨークの自由の女神が、たいまつを持っているのは左手である
- 【第3回・1979年】水戸黄門は、徳川家康の孫である
- 【第4回・1980年】ニューヨークの自由の女神像は、石でできている
- 【第5回・1981年】ニューヨークの自由の女神像は、裸足である
- 【第6回・1982年】ニューヨークの自由の女神像は、贈り主フランスの方を向いている
- 【第7回・1983年】自由の女神のお返しに、アメリカの人々もフランスに自由の女神を贈った
- 【第8回・1984年】ニューヨークの自由の女神と、上野の西郷さんの銅像は同じ方角を見ている
- 【第9回・1985年】パリのエッフェル塔には正面はない
- 【第10回・1986年】ニューヨークの自由の女神、100年前の除幕式に使われたのはフランス国旗であった
- 【第11回・1987年】ニューヨークの自由の女神は、アメリカ大統領から名誉市民の称号を受けている
- 【第12回・1988年】ニューヨークの「Statue of Liberty(自由の像)」を、日本語で「自由の女神」と訳したのは第二次世界大戦後である
- 【第13回・1989年】ニューヨークの自由の女神は、かつて灯台だった
- 【第14回・1990年】ニューヨークの自由の女神には、災害や事故に備えて損害保険がかけられている
- 【第15回・1991年】アメリカの象徴「自由の女神」を、他の国が国旗に採用しても、アメリカの許可は要らない
- 【第16回・1992年】ニューヨークの自由の女神が、アメリカ合衆国の硬貨に描かれたのは1986年、100周年記念のときが初めてである
- 【第17回・1998年】自由の女神が建てられたとき、女神はニューヨークで一番高い建造物になった
こうして17問並べると、壮観ですね。第8回なんて、自由の女神と上野の西郷さんを組み合わせるという、東京ドーム(当時は後楽園球場)から調べに行けるギリギリの絶妙なライン。前述の「上野までタクシーを飛ばした挑戦者」はこの回の話です。ちなみに第10回では、自由の女神に扮した徳光和夫さんが「過去9回の正解は××○×××○○○。同じ解答は3回までしか続かない」というヒント(という名の演出)を挑戦者に披露したそうで、こういう遊びも含めてウルトラクイズでした。
で、お気づきでしょうか。どれも「知っているか」ではなく「確かめられるか」を試してくる問題です。そして2026年の今、この17問はスマホに向かって話しかければ3秒で答えが返ってきます。なんなら私が日々使い倒しているFable 5に聞けば、答えに加えて「自由の女神の建造年と当時のマンハッタンの建造物高さランキング」まで解説してくれるでしょう。ここに、今回の復活の一番面白い論点があります。
生成AIが人間より物知りな時代に、「第1問」はどう出題されるのか
1977年の第1問は「公衆電話に並ばせる」問題でした。1998年は「携帯が電波障害で使えなくなる」というオチがつきました。では、スマホどころかFable 5やChatGPT 5.6のような生成AIが、知識量では人間を圧倒してしまった2026年、5万人への一斉出題はどんな形になるのでしょうか。私の予想(というか妄想)はこうです。
- 案1:潔く「調べてOK」を続ける。ただしAIに聞いても答えが割れる問題を出す。生成AIは「諸説ある」「情報源によって異なる」ものが苦手です。むしろAIの回答が真っ二つに割れて、会場がざわつく画が撮れたら最高でしょう。
- 案2:「その場で確かめる」問題に回帰する。西郷像を見に走った1980年代のように、検索では出ない「今この瞬間、この場所の事実」を問う。これはAIには原理的に答えられません。
- 案3:知識を問うのをやめる。そもそもウルトラクイズの本質は「知力・体力・時の運」の三本柱でした。泥んこクイズもバラマキクイズも成田のじゃんけんも、知識だけでは勝てない設計です。AIが知力を無効化するなら、残る二つの比重を上げればいい。
個人的には、この「AI時代にクイズ番組はどう成立するのか」という問いに日テレがどんな答えを出すのか、出場者としてより、テレビとテクノロジーの交差点を眺めるのが好きな人間として注目しています。何せ50年前、「視聴者を球場に集めて海外に連れて行く」という前代未聞の答えを出した番組です。期待していいはずです。
じゃんけん、泥んこ、罰ゲーム ── あの理不尽さも様式美だった
思い出話ついでに、若い人向けにウルトラクイズの「様式美」も紹介しておきます。第1次予選を勝ち抜いても、成田空港で待っているのはじゃんけん。クイズで勝った人間が、じゃんけんに負けてその場で帰される。グアム行きの機内では数百問のペーパークイズ。グアムに着けば名物泥んこクイズ(○×の答えのパネルに走り込むと、ハズレの側は泥のプールに落ちる。第4回で初登場し、以降ほぼ毎回の定番でした)。砂漠では問題の書かれた紙をヘリからばらまくバラマキクイズ。そして敗者には容赦ない罰ゲーム。この理不尽の振り幅こそが「知力・体力・時の運」であり、単なる知識自慢の大会と一線を画すエンターテインメントでした。
優勝者たちのその後も味わい深いんです。第13回(1989年)優勝の長戸勇人さんは『クイズは創造力』という攻略本を書いてクイズ界のレジェンドになり、その後はクイズ作家として会社まで設立。第15回(1991年)優勝の能勢一幸さんは、優勝後も埼玉県庁に勤め続けながら「県庁のクイズ王」として今もクイズ大会の運営に携わっています。ニューヨークまで行って人生が変わった人も、変わらない日常に戻った人も、どちらもいる。そういうところも含めて、ドキュメンタリーとして良質な番組でした。
50年目の節目に、応募します
今回の応募要項を整理しておくと、応募は番組公式サイトから8月23日まで。応募資格は日本のパスポートを持ち、1次予選実施予定日の9月12日時点で満18歳から65歳まで。1次予選は9月12日に東京都内で実施予定です。会場が東京ドームかどうかはまだ発表されていませんが、あの第1問の伝統がどんな形で継承されるのか、あるいは全く新しい形になるのか。
番組誕生50周年。同じ年に生まれて50年目の私が、子どもの頃から一度も掴めなかった出場のチャンスが、ようやく巡ってきました。中学生には早すぎ、氷河期の新入社員には重すぎた挑戦が、今なら「まあ、ネタになるし」と笑って応募できる年齢と立場になった。これも時の運というやつでしょう。
というわけで、応募します。もし1次予選を通過して、まかり間違ってテレビに映っていたら、応援してくださいw じゃんけんで帰ってきたら、それはそれで記事にします。