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伊勢志摩サミット記念!G7各国と比べて日本の総理大臣がすぐ変わる理由

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2016年は日本の伊勢志摩でG7サミットが開催されます。

先だって4月10日、11日には広島で外相会合がありました。

それを記念して、「政治」を扱ったデータ分析手法である計量政治(政治現象を統計学を使って分析)に挑戦したいと思います。


2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣以降、久しく言われなくなりましたが、昔から日本には「総理大臣がコロコロ変わり過ぎ」という批判が根強くあります。

94年には、細川首相、羽田首相、村山首相と1年で3人も総理大臣になる事態も起きました。

毎年首相がコロコロ変わり、G7サミットで同じ顔ぶれが続いた試しがない!という声もありますね。


しかし結果だけを責めるのは簡単です。なぜ日本の総理大臣は短命なのか、機構に問題があるのか、制度に問題があるのか、原因を突き止めないと何も変わりません。

そこで今回は、日本の総理大臣が短命の理由を、統計学で分析してみたいと思います。


主要国首脳会議参加国と在任期間を比較してみる

まず「日本の総理大臣はコロコロ変わり過ぎている」という批判は、的を得ているのかを調べてみます。

G7を比較対象に、その国の代表として参加している役職者の在任期間をまとめてみました。ドイツであれば首相、フランスであれば大統領になります。

この在任期間が日本の首相と比べて長いかどうかを見てみましょう。


対象期間は「1945年9月以降かつ現在運用している政治制度が定着して以降」とします。フランスの場合、第五共和政に移行した1958年以降が対象になります。

また、対象者は現職を除きます。期間を定義できないためです。ちなみに再登板の場合は在任期間を分けるのではなく、合算することとします。

したがって再登板組であり、かつ現職である安倍首相は対象外になります。


結果を箱ひげ図で表すと、以下の通りになりました。



日本の四分囲範囲(第1四分位数〜第3四分位数)が、どの国よりも短いことがわかりました。吉田首相、佐藤首相、中曽根首相、小泉首相が異常値として扱われるぐらいです。

たしかに日本の首相は短命で、他国と比べてもコロコロ変わっているようです。


似たような範囲を示しているのがイタリアです。

四分範囲はイタリアのほうが広いですが、中央値で見れば日本のほうが高く、イタリアも首相がコロコロ変わっていることが解るかと思います。

さらに、イタリアは再登板で首相になる確率が他国に比べて圧倒的に多く、内閣自体の存続期間で見れば日本より四分範囲が短くなります。


大統領制を採用しているアメリカやフランスは、長期政権になりやすい傾向のようです。よほどの事態で無い限り、任期途中の辞任が無いから、そりゃそうです。

ただ、日本やイタリアと同じ議院内閣制を採用していながら、イギリス、カナダ、ドイツも状況によってはかなりの長期政権が存在したことがわかります。

この差は何でしょうか?


調べてみると「二院制のあり方」で大きな違いがあることがわかりました。

イギリスやカナダの上院は限定的権限しかなく、ドイツの上院は州代表機関に過ぎません。上院の動向で首相の退陣に影響を与えることはありません。

いっぽうイタリアと日本は対等の二院制です。

特に日本では宇野首相、橋本首相が参院選敗退により退陣したり、衆参ねじれにより首相の指導力が低下して安倍首相、福田首相、菅首相が退陣したり、他国には無い理由で首相が交代しています。

これだけが短命内閣の理由だとは言えませんが、キッカケの1つだとは言えそうです。


では、直接選挙による大統領制に移行するか、衆議院の権限強化(あるいは参議院改革)を行えば、コロコロ変わることも無くなるのでしょうか?

少し短絡的な結論にも見えますので、次は「日本の首相が辞めた理由」について分析してみたいと思います。


日本の首相が辞めた理由を分類してみる

連合国軍占領から独立して日本が主権を回復した1952年4月28日から現在まで、49回内閣が組閣され29人が首相を務めました。

29人の首相の辞め際は様々ありましたが、その理由を分類してみると、首相がコロコロ変わる理由を掴めるかもしれません。

まず、29人の首相が辞めた理由を、幾つかの文献をもとに次のように分けてみました。

氏名 期間 退任理由
吉田茂 1948年10月15日
~1954年12月10日
自身の不信任案が可決されそうな情勢を前に、解散案が周囲に反対され、やむなく退任
鳩山一郎 1954年12月10日
~1956年12月23日
懸案だった日ソ国交回復後、病気などを理由にして退任
石橋湛山 1956年12月23日
~1957年02月25日
肺炎と軽度の脳梗塞を発症したことにより退任
岸信介 1957年02月25日
~1960年07月19日
安保改定による混乱により退任
池田勇人 1960年07月19日
~1964年11月09日
ガン発覚により退任
佐藤栄作 1964年11月09日
~1972年07月07日
所属する自由民主党の総裁任期満了により退任
田中角栄 1972年07月07日
~1974年12月09日
金脈問題が追及され国政が行き詰まり退任
三木武夫 1974年12月09日
~1976年12月24日
衆議院選挙敗北の責任を取るとして退任
福田赳夫 1976年12月24日
~1978年12月07日
所属する自由民主党の総裁選挙に敗れて退任
大平正芳 1978年12月07日
~1980年06月12日
在任中に心筋梗塞で急死、退任
鈴木善幸 1980年07月17日
~1982年11月27日
国政に様々な行き詰まりが起こるなか、所属する自由民主党の総裁選挙に出馬せず退任
中曽根康弘 1982年11月27日
~1987年11月06日
所属する自由民主党の総裁任期満了により退任
竹下登 1987年11月06日
~1989年06月03日
金脈問題が追及され国政が行き詰まり退任
宇野宗佑 1989年06月03日
~1989年08月10日
自身の女性スキャンダルが起こるだけでなく、参議院選挙敗北の責任を取るとして退任
海部俊樹 1989年08月10日
~1991年11月05日
政治改革法案が廃案になり解散を決意するが党内勢力の反対を受け、その勢いのまま退任
宮沢喜一 1991年11月05日
~1993年08月09日
衆議院選挙敗北の責任を取るとして退任
細川護熙 1993年08月09日
~1994年04月28日
金脈問題が追及され国政が行き詰まり退任
羽田孜 1994年04月28日
~1994年06月30日
自身の不信任案が可決されそうな情勢を前に、やむなく退任
村山富市 1994年06月30日
~1996年01月11日
国政に様々な行き詰まりが起こるなか、憲政の常道(第一党が首相を務める)に従うとして退任
橋本龍太郎 1996年01月11日
~1998年07月30日
参議院選挙敗北の責任を取るとして退任
小渕恵三 1998年07月30日
~2000年04月05日
在任中に脳梗塞で急死、退任
森喜朗 2000年04月05日
~2001年04月26日
自身の失言やスキャンダルが起き、参議院が戦えないとして退任
小泉純一郎 2001年04月26日
~2006年09月26日
所属する自由民主党の総裁任期満了により退任
安倍晋三 2006年09月26日
~2007年09月26日
閣内のスキャンダルや参院選の敗北が起き、持病である機能性胃腸障害が悪化、退任
福田康夫 2007年09月26日
~2008年09月24日
衆参ねじれ状況の中、法案が通らない等の行き詰まりが起き、環境を変えるため退任
麻生太郎 2008年09月24日
~2009年09月16日
衆議院選挙敗北の責任を取るとして退任
鳩山由紀夫 2009年09月16日
~2010年06月08日
米軍移転問題で行き詰るなか、自身の金脈問題が発生し退任
菅直人 2010年06月08日
~2011年09月02日
東日本大震災への対応の悪さが指摘されるなか、与党からも反発が止まず、環境を変えるため退任
野田佳彦 2011年09月02日
~2012年12月26日
衆議院選挙敗北の責任を取るとして退任

理由は様々ありますが、大きく分けると「体調不良」「選挙敗北責任」「行き詰まり」「法案キッカケ」「議会不信任」「不祥事の責任」「所属する政党での任期満了」、この7種類に分かれるかと思います。


この結果を主成分分析にかけると次のような結果となりました。


ちょっと見づらいので整理します。

横軸を見てみると「体調不良」「所属する政党での任期満了」と「行き詰まり」「不祥事の責任」に分かれています。この軸を、私は「自らの意思による退任」と読みました。そして自分のみに起因する(体調不良、人気満了)か、自分以外にも起因する(行き詰まり、不祥事の責任)かで分かれていると考えました。

縦軸を見てみると「選挙敗北責任」と「法案キッカケ」「議会不信任」に分かれています。この軸を、私は「自分以外の意思による退任」と読みました。選挙(直接的国民の意思)に起因するか、議会(間接的国民の意思)に起因するかで分かれていると考えました。


それを踏まえた上でわかりやすい図にすると、次の通りになります。


「日本の首相が辞めた理由」が大きく5つのグループに分かれました。宇野首相は特殊要因として切り捨てることにします。指三本。


この結果を踏まえて「首相がコロコロ変わる」という批判に対する対応策として何が考えられるでしょうか。


考えてみると「首相がコロコロ変わる」という批判は「変わるべきでは無いのに変わってしまった」という意味が言外に含まれているということに気付きます。

つまり、一定層の理解を国民から得ているのに退任に至ったケースに注目すべきではないかと考えます。

よって注目すべきは座標軸で言うところの左上、すなわち「自分のみに起因する形で自らの意思による退任」と「議会の意思に起因する退任」に絞られます。

「任期満了」グループ、「体調不良」グループ、「不信任」および「法案キッカケ」グループこそ、日本の総理が諸外国と比べて短命である原因だと考えてよさそうです。


所属する政党の代表としての任期満了を受けて退任した佐藤首相、中曽根首相、小泉首相の去り方は適切だったのか?という疑問が浮かびます。もっと長く務めてもよかったのではないでしょうか。

議会から不信任案を提出された(されそうになった)吉田首相や羽田首相は本当に不信任に値する内閣だったのか?という疑問が浮かびます。議会の都合と国民の期待に乖離があったのではないでしょうか。

重要法案と引き換えに退陣に追い込まれた岸首相や海部首相には退陣という選択肢しかなかったのか?という疑問が浮かびます。小泉首相は郵政法案を否決されて解散という選択肢を取りました。

首相就任時の平均年齢が60歳代と言われていますから、病気とお友達にならないといけないのに無理をさせて悪化させてしまった鳩山首相、石橋首相、池田首相、大平首相、小渕首相の体調管理は適切だったのか?という疑問が浮かびます。


これらの疑問に対するアンサーこそ、日本の首相がコロコロ変わらない対策になるのではないか、と考えます。


まとめ

日本の総理大臣が諸外国と比べて短命の理由を、統計学を使って分析してみました。

首相がコロコロ変わることへの対策を考えましたが、そもそも「首相の在任期間が長ければ良いのか?」という疑問はあえて目をつむりました。

いずれ分析してみたいと思います。

何かを変えるには常にリスクがありますが、そうしたリスクと向き合いながら日本が少しでも良くなることを願っています。


この記事は本家サイトのマメ研コンテンツを一部加工して掲載しています。


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