【書籍紹介】世界を変えた1枚のディスク 3.5インチフロッピーディスク開発物語
先日、同僚から「本の紹介はもう書かないのですか」と聞かれた。以前連載していた「本の特盛り」が面白かったらしい(「Computer World」で隔週連載)。以前書いた「SF小説『.....絶句』(新井素子)について」は「本の特盛り」に掲載したものだが、それっきり続きを載せていなかった。
同僚の言葉に気を良くしたので、今回からしばらくの間、当時の記事を加筆・修正して再掲したい。
「世界を変えた1枚のディスク 3.5インチフロッピーディスク開発物語」(版元品切)
フロッピーディスクは、8インチから5.25インチを経て、3.5インチで大きく進化した完成形となり、そろそろ製品寿命を終えようとしている。3.5インチフロッピーディスクは、多くの方がご存じだと思うが、従来のフロッピーディスクと何が変わっているのかを知らない方は多い。3.5インチフロッピーディスクの改善点については別の記事に書いたので、その部分を抜粋して末尾に掲載する。このあたりのことを知っていると、より面白く読めるだろう。
本書は、ソニーが開発した3.5インチフロッピーディスクの開発物語である(残念ながら版元品切)。書籍の面白さは大きく3つある。基礎技術としての面白さ、製品化の面白さ、そして本書に登場する研究者の面白さである。
著者は東北大学で磁気記録を研究していた(東北大学の磁性体研究は世界的に有名)。その後、ソニーで磁気テープの研究を行ない、ビデオ録画装置「ベータマックス」の開発に従事した。フロッピーディスクの開発には、この時の経験が活かされている。「ビデオテープに使った磁性体を使えば記録密度を上げるのは簡単である」と言い切るシーンは研究者として実に格好いい。
そういえば、昔、日本光学(現ニコン)に一眼レフ製造の依頼があったとき「日本に一眼レフを作れる会社があるとしたら日本光学しかない(だがやらない)」と妙なプライドを掲げて断った話があるらしい。技術的に可能なことと、製品化することは別の話である。結局、日本最初の一眼レフカメラは旭光学(現リコーイメージング)による「アサヒペンタックス」となった。
本書でも、製品化に至るには多くの障害を乗り越えなければならないことも描かれている。競合製品との比較や、生産工場とのやりとりは、本書のもうひとつの面白さである。Macintoshに採用されるエピソードも面白い。最後は、製造上の技術問題により、フロッピーディスクドライブの製造をやめてしまう話も印象的だった。
本書の主題ではないのかもしれないが、もうひとつ面白かったのは研究者の姿勢である。AT&Tベル研究所で開発された磁気バブルメモリを「これはだめだ」と切り捨てた電電公社(現NTT)通信研究所の川又晃氏、磁気データ記録装置の可能性をいち早く見抜いた井深大氏など、多くの研究者が登場する。これも一読に値する。
フロッピーディスク全盛期の1990年、ソニー社内で最も権威ある「井深賞」の授賞式で、井深氏が「フロッピーディスクは容量が少なく、可動部が無駄である。将来的には半導体に置き換わるかもしれない」と述べたという。授賞式に「フロッピーディスクには将来性がない」というのは失礼な気もするが、いかにも研究者らしい言葉である。
このように、本書は多くの読み方ができる。技術に興味のある人にはぜひ読んで欲しい1冊である。
最後にもうひとつ。前書きに「多くの学生はフロッピーディスクの発明はドクターN氏だと思っている」「ドクターN氏の発明でないということは明白な事実である」とわざわざ書いてあって逆に驚いた。そんなことを信じる人がいるのだろうか。
ドクターN氏というのは言うまでもなくドクター中松のことであろう。
ドクター中松が「フロッピーディスクそのものを発明した」というのは全くの誤りである。ドクター中松はフロッピーディスクを発明してはいない。フロッピーディスクを発明したのはIBMであり、そのIBMが参考にしたのはソニーの磁気シートレコーダーである。
長くなるがWikipediaから引用しよう。
中松はフロッピーディスクの発明者であり特許を取得したと主張している。
ただし「フロッピーディスク」と呼ばれるコンピュータ用の外部記憶デバイスを「ディスケット」として世界で初めて発売したIBMは、中松を発明者、もしくは開発者であると発表したことはない。IBMの「ディスケット」はアラン・シュガートが率いるIBMの開発チームが1970年(昭和45年)に開発し、1971年(昭和46年)より商品化されており、特許を取得・保有しているのはIBMである。
ただIBMが日本でのディスケット販売に関連して中松の持つ特許の「非独占的特許使用契約」を結んだのは事実であり、中松によれば契約したのは1979年(昭和54年)2月であるという。対するIBMの広報担当者はニューヨークタイムズの取材に対して、「IBMはいくつかの特許使用契約を中松から得たことがあるが、それはフロッピーディスクのものではなく、フロッピーディスクはIBMが独自に開発したものである」と述べている。
中松は1985年(昭和60年)に配付した資料で、1947年(昭和22年)の東大在学中に「シートに面積型に記録する媒体」とその再生を行うドライブの着想を抱き、1948年(昭和23年)に特許を出願し、1950年(昭和25年)に完成させ、1952年(昭和27年)に特許が認められ、その影響で1956年(昭和31年)に三井物産の株が上がったとしている。またフロッピーディスクのあらゆる部品が中松のパテントであるとしている。また中松は1979年(昭和54年)にパテント契約をIBMと締結したとして、フロッピーディスクは中松の発明によるものだとしている。
中松の主張にある「1948年(昭和23年)に特許出願して、1952年(昭和27年)に登録されたフロッピー媒体」と時期的に一致する特許は「ナカビゾン」 もしくは「積紙式完全自動連奏蓄音器」の2つであり、ナカビゾンは何枚も繋がった紙の横一行一行に譜面が記録されていて、自動連奏蓄音機の譜面読み取り部分が左右に振れることで譜面を読み込み演奏するものである。
ナカビゾンは何枚も繋がった紙の横一行一行に譜面が記録されていて、自動連奏蓄音機の譜面読み取り部分が左右に振れることで、譜面を読み込み演奏するものである。そもそも円盤ですらないらしい。つまり、多少は似たような部分はあってもフロッピーディスクではない。「簡単に言うとレコードジャケットに穴を開けて、中身を取り出さずにそのまま使えるようにする発明」という説明も見かけるが、かなり好意的な解釈のように思える。
▲「簡単に言うとレコードジャケットに穴を開けて、中身を取り出さずにそのまま使えるようにする発明」のイメージ図
IBMが日本でのフロッピーディスク販売に関連して中松の持つ特許の「非独占的特許使用契約」を結んだのは事実であるが、契約は1979年(昭和54年)2月である。両者の契約が行われたのがフロッピーディスクが既に商品化された何年も後である以上、中松の特許がフロッピーディスクの商品開発に直接関与していないのは確実である。
IBMは自社の特許を守るため、当時フロッピーディスクの構造に抵触しそうな他者の特許に対して契約を結んでいた。中松の特許もその一つに過ぎず、これは、IBMがフロッピーディスクを日本で発売する際に、中松との紛争を避ける目的だったらしい。ただし、その契約内容は技術的なものではなく、エンベロープの意匠に関するものであったとされている。
もっとも、特許の有効期限は出願から20年なので、IBMがフロッピーディスクを商品化したときにはすでに切れていたはずである。日本には米国のような「サブマリン特許」は存在しない。それにも関わらず契約を結んだのは不思議である。
■3.5インチフロッピーディスク
(Computer World「スライドで見る 記録メディアの歴史」から抜粋 )
3.5インチフロッピーディスクは、1980年にソニーによって開発された。最初は英文ワープロの外部記録媒体として採用され、続いてソニーの8ビットPCであるSMC-70 (1982年)に搭載されている(広く売れたSMC-777の原型)。
記録フォーマットは5インチフロッピーディスクを踏襲しており、320/360Kバイトの2DDまたは1.2Mバイト/1.44Mバイトの2HD(2HC)が広く使われたため、容量的な優位性はない。2EDと呼ばれる2.88Mバイトのフォーマットも提案されたが普及しなかった。
3.5インチフロッピーディスクが、5インチに対して優位な点は以下の通りである。
- 小型化…対角線長がコンパクトカセットテープとほぼ同じ
- 操作性の向上…スライド可能な書き込み禁止用爪が追加され、シールが不要
- 誤操作の防止…上下左右が非対称で、誤った方向だとドライブへの挿入すらできない
- ジャケットの強化…ジャケット材質をプラスチックにすることで、折り曲げ事故を防止。ジャケットに厚みがあるため、外部磁気の影響も多少は受けにくくなった。
- 記録面の保護…自動開閉シャッターにより記録面を保護。ただし、初期のディスクには自動シャッター開閉に必要な切り書きとスプリングが搭載されていなかった
私はSMC-70の製品発表会の後、ソニーの技術者の方と話し込んでいたら、記念にディスクを1枚いただいた。もちろん自動開閉シャッター機能はついていない。残念ながら、そのディスクは友人に上げてしまって手元にはない。
▲書き込み可能ディスク(左)と書き込み禁止ディスク(右)