女性は自分の胸元への視線に気づいているはずだと思う
今日、パスタを食べていたらトマトソースがワイシャツに飛んだ。
みぞおちのあたりから右肩の辺りまでべったりである。そそくさとレジでお金を払うが、店員さんがこちらを見ている気がする。「ちょっと朽木隊長に鎖結を刺されまして」というジョークが通じる相手でもなさそうなのでそのまま出る。
道路でいろいろな人とすれ違う。10人くらいすれ違うと、「おや」という顔でこちらの胸元に視線を落としている人と出くわす。普段は他人の視線など気にならないけれども今日は特別に気になる。しかも相手の視線が胸元に集まっているということがとてもよくわかる。
とここでお店の見当がついていないことに気付く。ユニクロのワイシャツでぴったりなことが判明して以来、かなり長いこと首周りで合わせていない。サイズなど覚えていない。そういうお店で店員さんに声をかけようものなら「トマトソースでシャツ汚しました」という状態で首周りを測ってもらうという恥ずかしさに耐えなくてはならない。それはいただけない。
結局その近所で「ここなら」という場所を知らなかったため数駅離れたユニクロに向かう。途中途中で片手で数えられないほどの人が自分の胸元を見た。果たして視線というのはなぜそれほど意識できるものなのか。だいたいはぼんやりとこちらを見て、胸元を見て、「どんなやつがこんな恥ずかしいことになったのか」と顔を見るのがパターンと判明した。
すれ違う人がだいたい500cm離れたところでこちらを認識するとして、自分の胸元と目線が30cmとすると眼球は2.5cmほどであるからして、相手の瞳は自分と目があった状態から胸元へ移した時に1.5mmほどしか動いていないことになる。
なぜそんなことを考えていたかというと今日はiPhoneを持っていないからだった。ガラケーとの2台持ちなので忘れても困らないことには助かるが、iPhoneでの時間つぶしに慣れきった自分を認識し、iPhoneの偉大さに恐れいった。そういうわけでガラケーで計算したのが上の結果である。
そこで表題の結論に至った。
しかし目的地までは5分くらいの時間がある。iPhoneはちょうどいいのだ。右手を前に、汚れたシャツを隠すことができる。しかも既にiPhoneなんて全然珍しくもないので誰からも視線をもらうことはない。ガラケーをいじっていると、iPhoneを買う前に自炊した涼宮ハルヒの分裂が発見された。こんな中途半端なところで終わっていたのか。ハンター以上に再開しづらいだろうという思いが新たになった。
果たしてユニクロに到着し、いつものサイズのシャツを買い、レジにたどり着く。ほっとした瞬間、店員さんが言う。
「着替えていかれますか?」
バレバレだった。そらユニクロとはいえ服を売る人が買う人の服装を見ていない訳はないだろう。カウンターを挟んで1メートルくらいしかない、その距離感で一度も胸元に目線を感じることはなかったのに。
こちらの目を見て笑顔で接客してくれたお兄さん。そのお兄さんは暗に言う。お前のシャツはトマトで汚れていると。
私は「いえ、結構です」とにっこり笑い返し、さも「僕のオフィスはみんなコンパートメントで働いてるから」とgoogle社員であるかのような余裕を発出しようと努力したが、無理だった。それにユニクロの紙袋を持ってトイレまで歩くことはこれまで歩んだ道のり以上に辛い時間だった。どう見てもトマトソースでシャツを汚したのでユニクロで買ってこれから着替える人だった。
トイレで着替え落ち着きを取り戻した。来た道を戻る。レジのことを思い出す。自分が胸元に目線を感じなかったということは店員さんはバレずに胸元を見るスキルを身につけているのかもしれない。今度レジに並んだ時に前の人がクレジットカードにサインしたりして前かがみになったときは店員さんの視線を観察してみよう。きっと見ているに違いない。服装を。