阿川弘之氏の覚悟の程が滲み出ている『葭の髄から』の迫力
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自分自身これまで大きな病気やけがをすることもなく生活して来ることができ、健康の有り難いとは常々感じますが、ただただ長生きしたいとは思っていなかったりします。このところの禁煙ブーム、健康ブームはとても大きな流れだと思いますが、ちょっと気になるモノがありました。
文藝春秋を定期購読するようなタイプでわたしはないのですが、阿川弘之氏の巻頭随筆『葭の髄から』は10年以上も続く長期連載ということで多くのファンの方がいるのではないかと推測します。
たまたま今月号を手にしこちらの『葭の髄から』を読んでみると阿川氏の師匠である志賀直哉氏がよく言っておられたとして以下のような話を紹介しています。
「不老長寿といふ、不老で長く生きられるなら話は又別だが、老いだけ残つて、ただ長生きといふのはお断りだ」
そして、現在その師匠よりも10ヶ月年上になっていて、先生の真似をして
「生きている事自体がもういやなんだ」
と言ひたい気分が多分にあると記されていて、この後には
- 脚腰の筋肉が衰えて、摺り足で歩かなくては何処へも行けない
- 運動不足の結果便秘がひどい
- 便秘薬が定量では効かず、癇癪起こして倍の量飲んだら、突然便意を催した
- 心は焦っているが、足が思うように前に出ず、廊下の途中、下着の中へどツと排泄してしまった
- 82歳の女房に手伝ってもらい後始末をしながら「こんな無残なこと、二度とやるまいぞ」と自分に言い聞かせる
- だた、その後再三再四失禁を経験している。
老年の体調不順の愚痴をもっと聞きたい読者はいないだろう、また阿川氏もこれ以上話したくないということでこの話は別な話題に変わるのですが、
文藝春秋の巻頭随筆に阿川弘之という大作家が、自分の老齢からくる失禁の話を書くというのは相当に覚悟がいる事だと思います。
文末には、
世間と没交渉な自分のごとき老人の、もはや出る幕ではあるまい。一度編集のスタッフたちとよく話合つてみなくてはならぬ。
と記されており、阿川氏がこの連載『蓋棺録』までと言われて引き受けた話は読者の方々には有名なところかと思いますが、あまりこの連載に馴染みのない自分が読んでも、この一文にご本人の覚悟の程を感じずには居られないのでした。
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