勝ち残った資本主義に翻弄される大学
先週位から慶応大学が225億の含み損を抱えつつあり、駒沢大学は資金運用で154億規模の損失出しているってのが出ていましたね。この事について新聞などが取り上げている中身は、学校法人が原則非課税で補助金もらっているのに何やっているんだ、、っていうほんと表面的なモノも多くて自分でも記事見てびっくりだったのですが、少子化であったり、国立大学のように運営交付金が毎年1%づつ減らされる状況で、じゃあどうするの?という視点が含まれた報道は残念ながら私は見かけることが出来ませんでした。
ちなみに、「大学「法人化」以後」って書籍には、大学の独立・自治の精神もやはり重要な事として、ここ最近の世間の変化に対応すべく、大学側がどのように努力している(努力すべきな)のか?って事が書いてあるのですが、
まず一般人にとって衝撃なのは研究費の不正使用に関する記述で、研究のために仕方なく不正を働いているなど構造的な問題への指摘やら、別に捏造は日本だけの話ではない云々、そしてマスコミの不見識への批判など、研究をする側からの考えが書かれています。
金融取引による損失報道では、学業以外に手を出すからだ、、、的な報道が多く見受けられましたが、そういう意味では研究に没頭するあまり世間の流れを理解していない方もいまだに多いらしく、個人的には産学連携に絡んでの、大学発ベンチャーの事や利益相反についての記述が大変参考になったのですが、
研究者の意識と科研費について著者は以下のような問題点を挙げていて、
研究者の個人的意識
- 科研費を公金として預かっている意識なし
- 部局長や大学本部も立ち入れない治外法権
- 特権者としてのおごり(職員を馬鹿にしてる)
- 国立大教員、教育公務員としての自覚がない
このような分析を行った上で、性善説から性悪説への転換の必要性を唱えています。
高度成長期が終わり、緊縮財政下で研究費が競争的なあり方に変化してきており、大学などの教育機関においても新自由主義の考え方とまったく無縁ではいられない状況になっており、人間の欲望を基本的には肯定して、その上に社会を構築することを決意するならば、その大前提にあるべき人間観は「性悪説」でなければならないだろう、、、と、
筆者自身の考えとして、
私は、新自由主義や新保守主義には批判的な立場だ。しかしそうした表面的な経済問題を超えて、人間観という人間理解の根本的な立場が問われているのだと思う。人間観において性悪説の方がはるかに深いと考えている。そして、その深さ故に、資本主義は勝利し、社会主義は失敗に終わったのだと思う。ただし、それは明確に自覚されてこなかった。今、この根本的な立場が問われる段階になっているのではないか。
と、書かれているのですが、これまで大学というある意味特殊な立場でさまざまな保護が行われていたところから、運営資金の捻出なり社会との接点を増やすなかで前述のような損失を出してしまっているのは、国立系と私立をこの話題で同じに扱うのは無理あるかもしれませんが、ある意味大学が社会との接点を増やしたり、その構造変化の中で支払うべき「授業料」なのかもしれませんね、、、というオチに持っていきたかったのでした(苦笑)
ただ、資本主義が勝利したって表現が良く用いられますが、ほんとに勝利したならこの現状はどうなんだ、、、って話が今後はいろんなところから出てくるのかな、、と思ったりしています。
P.S.
実はこの書籍についてはテクノポリス法から95年の科学技術基本法と96年の科学技術基本計画に沿って、96年から01年までの5年間に科学技術研究に17兆円が投じられているとか、いろいろ面白いというか、一般人からするとビックリな事がたくさん出てくるので、これ1回で終わらないようにしたいな、、、と思ってます。