「レビューができる」ということは「自ら作成できる」ということ
通常の仕事では、成果物や仕様書などの各種ドキュメントを作成し、お客さまなどに提出する前にレビューを行います。多くの場合には、関係者やマネジャーなどがドキュメントをレビューし、品質上の不具合などを修正します。
しかし、実際の現場ではレビューが機能していないことがよく見受けられます。「内部でレビューしました」と言って提出されるドキュメント類であっても、中には提出に耐えられないような品質のものもあります。
このような状態になる理由は幾つかあると思います。列記してみますと、
- マネジャー等にレビューをする気がなく、ざっと目を通してそのまま提出を指示してしまう
- ドキュメント量が多くレビュー自体ができていない(またはぎりぎりにレビューを依頼され実際に見ることができない)
- レビューする側にその能力が無い
といったところが大きい原因だと思います。
1と2は管理者(レビュアー)としての自覚や管理能力の問題が大きいと思います。最終責任を負って提出するという責任感があれば、その品質を管理するために必要な手立てをうつだけでなく、きちんと目を通して、修正を加えたうえで提出するはずです。こうなってしまうと、「レビューした」と言うこと自体が嘘になってしまいます。
一方で、多くの会社で気が付かれていない事実として、レビューする人間が、実はレビューをする能力やスキルを持っていない場合です。通常レビューは管理職やリーダーが行いますが、年功序列や組織上の人員配置によってそのポジションについているだけ、または本来の成果物等の品質を管理するには十分な経験を積んでおらず、別の理由でそのポジションについている場合などは、レビューする側に、その能力が欠落しており、形だけのレビューになっているケースがあります。
私個人の考えでは、レビューができるということは、レビュー対象となるものを自らが作製することができるということに他ならないと思います。例えばシステム設計であれば、自らがきちんとした設計を行える、文書であれば自らが文書を作成できるということが必要要件であり、それができないにも関わらずレビューをしたとしても、中途半端なものに終わると思います。
レビューが何故機能していないのか、それを見直す場合には、まずレビューする側の体制やスキルを見直すべきだと思います。