強引なリーダシップの必要性
FOXで放映されている「HOUSE」で考えさせられる様々なことの第2弾ですが、「強引なリーダーシップの必要性」を改めて痛感します。
リーダーシップのべき論には結論はありません。メンバーにそれぞれの作業の必要性を理解をさせ納得させることの必要性を説くものもありますし、何よりもモチベーションを与えることが必要であると説いているものもあります。すべてのものが確実に予測でき、100%の手順を規定でき、かつメンバーすべてに理解をさせることが可能な環境(メンバーのスキルだけでなくリーダのスキルも含め)そして時間があれば、理想論どおりのリーダーシップを発揮できる場合もあると思います。その一方で、現実にはリーダーの直感、そしてメンバーが理解できない高度な意思決定も行われることはありますし、それ以上にメンバーとリーダの間の経験の差や、スキルの違いがある場合には、納得ずくで作業を行うことは不可能だと思います。
多少強引であるが、自分の解釈を信じ「こうやるのだ」というリーダシップの出し方もあると思います。その場合には、強引なリーダーシップの裏返しとして、常に全リスクを自らが負うということが前提になります。
リスクを負った上での決断の結果が失敗であれば、素直に責任を取ればよいし、成功すればメンバーに対して意思決定の正しさを学習するための機会を与えるだけのことですが、なかなか現場ではそうもいきません。
ただし一番いけないことは、メンバーの意見を聞かないことよりも、メンバーの断片的な理解や乏しい経験からの意見に振り回されることです。意見を聞いたとしても、自らの解釈に従い、意見を取り入れつつも最善の方法を探り、理解を得られなくとも的確・明確な指示を出すことが、リーダシップには求められます。
HOUSEを観ていると、このような強引なまでのリーダシップは、特に修羅場や最悪の事態に陥ったときにこそ力を発揮すると感じます。通常時では疎まれるような強引さも、時には必要であり、そのような人材を抱え込む余力のある企業や組織だけが、新しいことへの挑戦や、ブレークスルーを生むと思います。