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世間のことは、世間で解決する

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ノラネコのエサやりに関しては、昔から賛否両論ありますね。
ノラネコのエサやり是か非か 全国各地でトラブル続発

「古川住民グループ」と名乗るエサやり派は、「やせ細った小さな命を見捨てることができない。迷惑は分かっているが、責任を持っているつもり」と主張。これまで4匹を連れ帰り、残ったネコのうち1匹には避妊手術をし、近くもう2匹もすると理解を求めている。これに対し、エサやり反対派は、「餌を運んでくる人の自己満足で野良猫が増え続けている。(中略)可愛がるなら家に連れて帰って」と訴えている。住民は、フンや異臭の被害を受けているという。」
双方の言い分に理があって、難しい問題だと思います。張り紙まで出して対立しているので、それぞれ真剣モードなんでしょう。

「 「地域猫」とは、1997年に横浜市磯子区で提唱され、2年後に同区のガイドラインにまとめられた考え方だ。磯子区生活衛生課によると、「特定の飼い主がいないネコの対応を何とかしよう」と同課職員や獣医師会、自治会などが相談して考え方をまとめた。「地域で世話をする人が避妊・去勢手術などネコの管理をきちっとすることを通じて、そうしたネコを減らしていこうというもの」(同課)だ。」
地域猫の話は知りませんでしたが、行政がガイドラインを示すのは、調整役としては妥当なことだと思います。お上意識が強いところでは、思いの外、効果があると思います。

「地域猫の考え方がなかなか浸透しない中で、東京・杉並区では07年10月、独自にエサやりのルールを決めた。エサをやる人には避妊・去勢をしてもらい、エサの残りやフンの始末にも責任を持ってもらう、自称「杉並ルール」だ。ルールが守られない場合は、条例による義務化も検討するという。実現すれば、地域猫が制度化されることになる。」
磯子区と同じように見えますが、義務化まで行くと行き過ぎだと思います。やっぱり、世間のことは世間が解決すべきであって、少しぐらいトラブルがあった方が、住民の方々の交流は逆に深まると思います。行政は、権力を振りかざすのではなく、トラブルの解決や後始末をフォローすればいいと思います。あまりに制度化を進めると、法令遵守が窮屈になり、逆に遵守意識が後退しなねない、と思います。

世間は個人で構成されており、世間を健全に保つには、個人間で折り合いをつける努力を続けていく必要があると思います。何のトラブルもない世間は、個性が失われ、恐怖政治が跋扈する社会であって、決して楽しいものではないと思います。

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