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企業ITもクラウド的な世界に向かい始めた今日この頃を徒然に‥

あの暑い夏から30年、そして3年

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今日は番長のお題、「あの夏の思い出」に答えて。私もいい歳なんで、思い出す「あの夏の思い出」はたくさんありますが、やっぱりこの業界に入るきっかけとなる経験をした夏のことを書きましょう。

今から約30年前に、当時通っていた学校が教材用にミニコンを買いました。ところが予算が少なくアプリケーションはなし。先生は苦肉の策で、学生に作らせようということになりました。

ところが当時は情報処理の授業もかろうじてあるくらいで、学校でもその作り方を教えられる人がいない。ということで好奇心旺盛な学生3人が、ミニコンの某H社の工場に行って修行しながら開発してくることになりました。その一人が私ですが、授業ではないので、選ばれたといっても春休みと夏休みをつぶすはめに。さらに旅費は当時問題になっていたカラ出張で先生が捻出(時効ですね)するというありさまです。

おりしも省エネブームのころ、行った工場のオフィスの冷房は29度。寮に冷房はろくになし。休みの日は近くの名古屋の街に遊びにいくも、有名な地下街なのにまだ冷房もろくになく、名古屋の人の忍耐強さを知った次第です。

そして特命の通信制御の教材のプログラム開発も、今までまったく知らない世界で悪戦苦闘。習ったこともない通信プロトコルやら、割り込み制御やらを、シニアなプロのエンジニアの意味不明の言葉で教えられ、夏休み中には完成にはまったくいたらず、その後、学校に戻り、秋か冬かになんとか完成する始末でした。

もともと雪国育ちで暑さには弱いのに、暑いマシン、暑い寮、暑い地下街、そして暑いきしめんで、すっかり頭も暑くなり、と本当に暑い夏でした。とはいえ、この30年前の経験が、つらく暑い思い出とともに染み付き、その後、大学院の専門とはまったく違うながらも、さらに先生に半ば呆れられても、この業界に入るきっかけとなったように思えます。

ところで余談ですが、以前調べたクラウドの言葉の起源は、諸説あるものの、よく言われているのがGoogleのSchmidt氏が2006年の8月にしたスピーチです。クラウドにとっての暑い夏、思い出の夏は、3年前の2006年の夏というわけです。

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