教育と指導の違い
いろいろ環境が外部から変わっている中、ビジネスシーンで「ギスギスした」事象が少し増えてきたように危惧しています。
おおげさにいえば「パワハラ」「モラハラ」、さらには「セクハラ」的なことが増えているという危惧です。
具体的に事例を言うことはいたしませんが、総合的に、1つ思ったことを今日は書きます。
それは、
「教育」と「指導」の意味の違い、使い分けができてない事象が増えた、ってことです。
「怒る」と「叱る」の議論にも似ている部分もあります。
ただし、自分的には、「教育」と「指導」は、基本どちらも正当な手段です。
ただ、使い分けが難しいな、って思うのです。「教育者」と「指導者」の違いかも。
言葉の定義だけで言えば、
「教育」は、「教えて」「育てる」
「指導」は「指し示して」「導く」
の違いだと思います。以下が私の理解です。
仕事がまだきちんとできない人に、基本的なやりかたを「教えて」、その後の成長を見守りながら一定期間をかけて「育てる」ことが教育、
仕事がまだきちんとできない人に、或るやりかたを「指し示して」、成長はいったんさておいてそのやりかたで正しく進めるよう速やかに「導く」ことが指導です。
最近危惧するのは、教育の姿勢はあまりせずに指導的な姿勢ばかりやる人は、私が感じるに総じて「自身に余裕がない人」じゃないかと思います。
最終局面になって「四の五の」的になったら「指導」モード一点張りでもいいと思うのですが、そうでない局面において教育と指導を上手く使い分けできる人がだんだん減ってきたように思います。
ここからは経験則で説明するのですが、
後進の人からしたら、「教育」でも「指導」でも、成果が達成して自分が褒められれば問題なしかもしれない。
しかし、自分の成果の前に上司先輩が褒められるような場合では、「指導」ではだめで「教育」だからこそ感謝があると思います。
少なくとも、「指導」一辺倒で指導された人に成果が出たところで、上司先輩の「指導のおかげです」とは、素直には思えないのではないか。
バランスは重要です。「指導」主義の人であっても、戦略的に意識して、少しでも多く「教育」的言動を混ぜていくことで、効果が増強されます。
また、指導するからには「導き」が間違っていたら、指導側に責任があります。最悪なのは、この事態において指導された側に素養とかポテンシャルがないせいと言い訳する人がいる。
「教育」重視の人は、統計的にはそのような言動をしないはずです。ここに大きな違いがあります。
「指導」重視の人の存在意義を否定するつもりはありませんが、「教育」重視の人と両方いた方が大規模な組織やプロジェクトでは良いことでもあるので、うまくバランスをとって、上手くマネジメントをしていきたいものです。
いずれにしても、この違いを確認したり議論して調整して、各所でベテランの方々がジュニアの方々に「これからの方向」へ、レールを或る程度敷いてあげ、そこへ載せて後押ししてくれることを願っています。