メールでの会話は「鋭利な刃物」が活字として残る
「トラパパさん、最近忙しいんですね」・・・メールに明記してないのに状況を推察されてしまったことがあります。付き合いの長い人、感性の鋭い人は、私のメール文章の書きっぷりでその状況が測れるらしいです・・・汗
(直接聞かなかったので自己分析に過ぎませんが)要は、改行なしのゆとりないレイアウトや、行間の広さ、あいさつ文等の丁寧さが普段のレベルに欠ける、等々の分析あってそのようなコメントがあるわけのようですが、自分でも結構無意識にそういう分析は受信メールについて行っているわけで、自分のメールについて分析・批評されることは、自分の作文レベルを向上させていく上で、とても勉強になります。m(_ _)m
社内でも、やりとりをいろいろしていると、こういう分析は当然無意識に(今は)していますが、最近、表題のようなインシデントが周辺で発生し、個人的にもあらためて思うところがありました。
普段の口頭の会話というのは、記憶に残るといっても、活字体のまま残るわけではありません。
よほど記憶力のいい人が相手であれば、「使った言葉も、イントネーションやスピード感、どこを強調したか、そのときの双方の表情、その前後の会話がなんだったのかも、鮮明且つ正確に記憶している」場合もあって、・・・これはこれでもうビックリ、へへーっ<(_ _)>って感じにもなるんですが、こういう例外をおいとけば、所詮口頭の会話履歴は、活字にあとで再変換しても「ほんとにそんなやりとりでしたっけ」という疑問は払拭できないまま議論を再開することが大抵。
ところがメールの場合、活字で、そのときの文章が、前述した言い回しやレイアウト等、原形を完璧にとどめているわけです。
余裕がないときにはすすめられないのですが、私は後進に「自分の意図通りに受取られなかったメール・文章はあとで3回、合間を空けて読み返しておけ」と助言するようにしています。
いろんな状況下、自分の気持ちの落ち着き度合い、周囲の環境、体調やその他いろんな条件下の違うときに、そのメールを読み返してみさせるのです。
そうすると(実体験です)、
そのときにはそんな意図が微塵もなかったのに、まったく別の意志が相手に誤って伝わる可能性があるとか、
そのとき準備時間や送信前のチェックとかの余裕がいくらなかったとしても、今みればなんと稚拙な言い回し、言葉足らずな文章だと思い知るとか、
そもそもなんでこんな人にまでCCしちゃったんだ、とか、なんで過去のメールのやりとり履歴を全部残したまんま送信しちゃったんだ(削除割愛すればよかったじゃん)とか、
結構、自戒できるものです。
無意識に私は(何故か??)これが習慣になっていました。いつからか、自分でもわかりません。多分、そんな意図はないのに誤解されたり、言葉足らずで相手を傷つけたりして、それをフィードバックされて落ち込んで、自分はダメダメだ、もっと慎重にならなきゃ、と思って、メールを見返す意識が強くなって、・・・多分、いつも送信前にそれをする余裕がないので、事後、「あのメール大丈夫だったかなー、間に合えばフォローできるかも知れないから、今読み返しておこう」とか思って、気がつけば習慣づいたように思います。
私自身もまだまだ勉強不足、人間的にもまだまだ未熟な要素が強いと思っているので、精進途中の身としては、単にオススメとしか言いようはないのですが、でも、メールコミュニケーションでトラブルに「見舞われた」と思う方は、一度試してみてはいかがかと思いました。
それでも何の気づきもない人もいるとおもいますが、それは良くも悪くもスタイルがMATURED(成熟した)なのだと思いますので、相手から主観的に、あるいは第3者から客観的に、アドバイスを聞いて素直に咀嚼してみるのがいいと思います。
自分の作文は、自分で添削・レビューしても、・・・何度やっても、所詮一定のレベルまでしか向上させられないと思います。それを、真摯に他社からのアドバイスを受け入れ改良点を付け加えることで、より汎用的に、つまり効率的に&確実に意図しているメッセージ「のみ」が伝えられるようになるのではないかと考えています。
共感される方がおられましたら、是非一度直近の自分が「?」に感じたやりとりのメール(できれば前後の文も)を読み返してみてはいかがかと存じます。もしこれが少しでもお役にたてれば幸いです。
拝