42年前に卒業した小学校と48年前に卒園した幼稚園を訪ねる
私の家族以外にとっては、本当にどうでもいい話をしますので、先にお断りしておきます。
私、5歳から12歳(年長→小学校卒業)まで、埼玉県北本市というとても田舎に住んでいました。(当時はとても田舎でした)
その北本にあるグリコの工場の見学コースにエントリーできた妹と甥っ子(小1)が出かけることとなりました。
妹から
「せっかく北本に行くので、工場見学後、合流しない?」
と提案があり、
昼ごろ、母と私が北本駅に集合いたしました。
まずは腹ごしらえして、以前住んでいた「団地」(戸建て集合団地です)に。
子供のころ、駅から途轍もなく離れている場所だと思っていましたが、1.5㎞くらい。変わってしまった場所、変わらぬ場所。きょろきょろしながら、家族で住んでいた住宅街へ。
「あー、●●さんち、まだここにお住まいなのね」
「うわー、この公園で遊んだー。ちっちゃいー」
「このうち(もう建て替わっているけど)で、母ちゃんは生まれ育ったんだよ。おばちゃんは5歳から住んでいたんだよ」(と甥っ子に説明)
「ここで母ちゃんは転んだんだよ」
「ここでおばちゃんは、こうしたんだよ」
「あそこでああしたんだよ」
と全く興味ない甥っ子にいちいち説明。
甥っ子は、縁もゆかりもない土地に連れてこられ、祖母、おば、母の3人が勝手に盛り上がっているのに飽きてきて、早くも帰りたい様子。
(まあ、たまには大人に付き合え。
午前中は、グリコに付き合ってもらったんだから!)←大人の心の叫び。
ここまで来たなら、小学校と幼稚園も見てこようと、さらに1㎞弱歩いて、小学校へ。
校庭で地元の方たちがゲートボールをしていたので、入ることができて、校舎や懐かしいあれこれを見てきました(外から)
隣接する幼稚園(私と妹が卒園した)も全く変わらぬたたずまいでそこにあって、
「おばちゃんはねぇ、あの端っこの教室で、わんわん泣いたことがあるんだよー」
「なんでおばちゃんは泣いたの?」
「『大人になったらなりたいもの』を絵にかく、という授業があって、その時、なりたいものがたくさんありすぎて、何を描いたらいいかわからなくて固まっていたら、先生に『どうしたの?何を描いてもいいのよ』と言われて、選べなくて、うわーんと泣いたんだよ」
「へぇ」
という会話をしたり。
いやはや、懐かしい。
・・・・・・
小学校5年生くらいの時だったか、同級生が、「駅で先生を見たんだ。話しかけたら、"しんじゅく"ってところに行くって言っていたよ。」というので、「すごいね、東京だよね。」「"しんじゅく"ってどういうところだろうね?」とみんなで目を輝かせながら、わくわくと妄想したことを思い出しました。
その新宿でもう20年以上仕事していて、なんというか、面白いものです。
憧れの新宿は、ごちゃごちゃしている街で目を輝かせるほどのものでもなかったけれど、あの時、「どんなところだろうね」とみんなで妄想した街は、すっかり手に届くところにあります。
今回は、今でも交流のある方たちと会うことができなかったのだけれど、また再度、訪ねて、今度は旧交を温めたいなと思っています。
【駅舎も立派になって・・・】